道標は今でも、人々の表情や想いを見守ってくれています。
「木村至宏著;近江の道標」に紹介されている道しるべをターゲットにして、現地を探索し、発見した道標の写真を紹介しています。え、こんなところにあるの?・・見つけ出すのもなかなか大変です。
鮎さんが紹介します。
東海道が近江を通るようになったのは天智天皇667年、大津に都(大津京)を遷してからだそうです。でも、5年で飛鳥の方に都が遷り、東海道は近江を通らなくなりました。
平安京遷都以降は、ほぼ現在の道筋になり、近江を横切る東海道には「東海道五十三次」に出てくる幾つかの宿場が出来、旅人で大いににぎわいました。
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鮒君が紹介します。
中山道は古代、中世代では東山道と呼ばれ、鎌倉時代は東海道よりもよく利用されていた大切な道でした。江戸時代になると、東と西の国を結ぶ東海道と、東山道はますます重要になるとともに、中部地方の山中を通る東山道は”中山道”と呼ばれるようになったと言う事です。
「朝鮮人街道」を紹介します。この道は朝鮮人道とも言われるんだけど、江戸時代に朝鮮国王の新書を携えた「朝鮮通信使」が江戸間の街道として利用したためにそう言われています。
24.守山市本町 | 25.野洲市行畑 | 26.竜王町西横関 | 27.近江八幡市武佐 |
28.安土町石寺 | 29.五個荘小幡町 | 30.五個荘三俣町 | 31.彦根市高宮町 |
32.多賀町多賀 | 33.彦根市原町 | 34.彦根市鳥居本町 | 35.米原市番場 |
36.野洲市五条 | 37.安土町常楽寺 | 38.東近江市安楽寺町 | ● |
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鯉君が紹介します。
この若狭街道は”鯖街道”とも呼ばれていて、日本海の幸を京の人々の食卓に運ぶ為に利用されていたんだって。そして、この街道には、”鯖ずし”を売っている店がよく目につきますが、さば街道ならではといったところかな。
北国海道は京・大阪・奈良などと北国を結ぶ重要な道なんです。尚、北国海道は”北国道””西近江路”とも呼ばれています。
39.大津市小関町 | 40.大津市観音寺 | 41.大津市滋賀里 | 42.大津市酒井神社 |
43.大津市坂本倉園神社内 | 44.大津市本堅田3 | 45.旧堅田港 | 46.大津市小野 |
47.大津市和邇 | 48.大津市北比良 | 49.高島市勝野 | 50.安曇川町末広 |
51.安曇川町田中 | 52.新旭町熊野本 | 53.今津町浜分 | 54.今津町保坂 |
55.マキノ町海津 | 56.西浅井町塩津浜 | ● | ● |
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北国街道は”北陸道”とか”東近江路”と呼ばれていて、越前など北国とを結ぶ重要な道だったんです。特徴があるのは米原や長浜には港があって、琵琶湖を利用した交通と繋がっていました。
滋賀の北東部の道、北国街道と北国脇往還も中山道と通じています。北国の大名の参勤交代で江戸に向かう時や伊勢へのお参りに利用されました。北国脇往還で有名なのは、秀吉が賤ヶ岳合戦に向けて、大垣から13里を5時間あまりで木之本まで駆けつけ勝利したことです。要するに、豊臣時代への序幕の道と言えそうです。
57.米原市米原 | 58.長浜市大戌亥町 | 59.長浜市街北国街道筋 | 60.長浜市曽根町北国街道筋 |
61.長浜市大寺町 | 62.湖北町馬渡橋 | 63.木之本町意富布神社 | 64.余呉町坂口 |
65.余呉町柳ヶ瀬 | 66.高月町馬上 | 67.長浜市野村町 | 68.米原市野一色 |
69.米原市春照八幡神社 | ● | ● | ● |
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御代参(ごだいさん)街道って、江戸の時代に、公家さん達がお伊勢さんとお多賀さんに皇族の名代としてお参りしていたので、名代=代参と言う事と、お伊勢さんから、この道を利用してお多賀さんにお参りしたことから、御代参街道と呼ばれたんだって!八風街道もお伊勢さんや美濃に通じる、大切な街道です。中世には山越商人と呼ばれる商人達が海産物や地方の特産品を通商する為に利用した。特に、八風峠は”・・老のあし一あしもすすまず”と室町時代の連歌師宗長の日記に有る通り、険しい峠だって。
70.日野町清田 | 71.日野町上野田 | 72.東近江市川合町 | 73.八日市清水 |
74.近江八幡市金剛寺町 | 75.近江八幡市金剛寺町 | 76.東近江市如来町 | 77.東近江市永源寺参道 |
78.東近江市鯰江町 | 79.東近江市横溝町 | 80.甲良町池寺 | ● |
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江戸時代の旧街道の略図
これら以外にも山越え道・峠道など歴史に残る大切な道があります。