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越前・加賀・能登道 |
SP65
右 ゑちぜん
かがのと 道
左 つるが
三国ふ祢のりは
明治十六年癸未一日建之 |
■ここは間宿
北国街道の北の端に位置する柳ヶ瀬は木之本宿の次にある間宿(間村)で加賀屋、越前屋などの屋号を持つ旅籠が並んでいたそうです。
間宿というのは正規の宿場間に設けられた旅人休息の宿を言います。
この道標もなかなか面白いでしょう!草書体で面いっぱいに刻まれています。 |
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柳ヶ瀬の関所
北国街道(栃の木越え)と若狭街道(刀根越え)の分岐点にあたる柳ヶ瀬には江戸時代初期より関所がおかれていたそうで、彦根藩が管理していました。五十石取りの武士2人と番役8人が詰めており夜間の通行は一切許されていなかったようです。老中より出されたおきてが残っています。なかなか厳しいですね!!
●鎖を暮六つにおろし、明六つに上げ、夜中通る者はよく調べ明けてから通すこと
●番所はいつも明かりを灯し、まぎらわしい者はよく見分けること
● 六人のうち二人ずつ番をし、少しもなまけてはいけない
●いつも番所を清潔にし油断してはならない
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関所の掟(つづき)
●大名が通るときは、関所の長以下床より降りて謹んでお通り願うこと●効力のない証明(手形)の場合は長から直々に調べること
●番所で曲事(賭事などの悪い遊び)をしてはいけない
●通行者から物や金をもらってはならない
●道具(鉄砲、槍、火薬、弓、提灯)はときどきほこりを落として手入れすること
右の通り申しつけるから左様心得、万事心をつくして、少しも油断なく勤めるように
江戸老中 |
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ここは豪雪地帯
北国街道は、近江と北陸をつなぐ主要道路で、彦根市下矢倉町で中山道と分岐し、湖北地方を南北に縦断して越前へ向かっています。「今庄朝立ち、木之本泊まり、中河内で昼弁当」と歌われているように、木之本、中河内、今庄は、北国街道の宿場町として栄えていました。 |
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