淡海の道標 本文へジャンプ
菅山寺へ案内

SP64
    明治二十六年   施主 観音講
菅山寺 十四丁
    準西国八十八所

長浜市余呉町坂口
■今は寂しい菅山寺 
北国街道の余呉町坂口にあるこの道標は大箕山菅山寺(近江湖北二十七名刹巡礼第一番札所;真言宗)への案内をしています。
案内板にはこの寺のいわれが書いてありましたので紹介しましょう!
天満宮のあったところですから菅原道真公ゆかりのお寺です。最初は龍頭山大箕寺と呼ばれていて、天平宝字8年(764)に初代照檀上人が孝謙天皇の勅命で建立されたそうです。その後に道真公がこのお寺の繁栄をもたらしたそうです。よって、道真公にご縁があるお寺ということです。
道真公は余呉の生まれなんです。
私も知らなかったのですが、道真公は、この余呉湖辺りの川並村に生まれ(諸説あり)、6歳から11歳までこのお寺で勉学し、寛平元年(889)から3院49坊の寺院に復興、名も菅公の一字をとり「大箕山菅山寺」と改めたと伝えられている。藤原時代から鎌倉にかけてが最盛期で、僧房105末寺70余もあり、相当大きなお寺だったと思われます。
道真公お手植えのケヤキ
山門前に残る大木は道真公お手植えのケヤキと伝わるもので、そうであれば1000年以上の寿命ということですね!
残念ながら何度も雷が落ち、中が空洞になっているそうです。
行ってきましたが登り口を間違えて山門には行きませんでした。
重要文化財の銅鐘がぽつんと・
なお、かつてこのお寺に納められていた重文の「宋版一切経七千余巻」は家康の命で芝の増上寺へ寄進されたとか、又道真公が寺を再興されたことが記されている建治三年(1277)鋳造の「銅鐘」が重文となっている。
最近、この銅鐘はしっかり管理される場所に移ったと聞きました。
お願い:本ホームページ情報で不都合と判断されたところはご連絡をお願いします。削除或いは訂正をさせて頂きます。又,本ホームページ全ての情報は皆様ご自身の責任下でご判断/ご使用ください。当管理者は一切の責任を負いません。
copyright©2015 NaniDoko淡海 all rights reserved.