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賤ヶ岳の合戦を見た道標 |
SP66
→ すぎのかねゐはら道
← 北国きのもと道
右 東京せきかはら道
明治廿九年一月旦 |
■北まけ村(?)
北国脇往還はくねくねと曲がりくねった街道です。この「馬上(まけ)」は豊臣秀吉の「美濃大返し」で有名な地です。
天正十一年(1583)春、織田信長亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家が跡目をめぐり戦った『賤ヶ岳の戦』での話です。
秀吉軍が美濃攻めで手薄と判断した勝家軍の主力佐久間盛政8千が中央突破を図りました。その時、秀吉は大垣での昼食中に報を聞き「われ勝ったり」と叫んだという。
秀吉は先遣隊に北国脇往還筋の村々に松明と握り飯の用意を命じた。午後4時に本体1万5千を大垣から出発させ、木之本までの13里(約52Km)を5時間で駆けつけました。途中、この馬上で休んだ秀吉が住職に「ここは何村か?」と聞いたところ、住職はとっさに「まけむら」と言っては不吉と判断し、「北まけ村と申します。」と答えた。秀吉は北の勝家が負けると・・大笑いしたといわれています。
結果は承知のごとく秀吉の大勝となりました。 |
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どこも軽四が活躍
川の上に石橋を渡して出入りするようになっています。なんとなく心の落ち着く風情を持った馬上です。 |
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伊吹の恵み
そばを流れる水の澄んだ川は心地よい流れの音を聞かせてくれます。 |
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淡海の北・伊吹の峠
右の方に曲がっていくと伊吹の八草(はつそう)峠(標高750m)に行き岐阜県揖斐郡へと通じる道、関ヶ原を経て東京へと向かう道を案内しています。
左方向は北国木之本道を示しています。 |
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