三角町立   青 海 中 学 校
 懐 か し い  青 海 中 学 校  剣 道 部  の 思 い 出

   自分にとっての中学生々活の思い出は、なんと言っても剣道部での部活でした。郡浦(こうのうら)という地域は昔から剣道が盛んだっ
  たそうで、兎に角、生徒の親達に腕に覚えのある人が多く、農作業の合間に稽古に来ていました。

  その理由として、郡浦はあの二天一流宮本武蔵の一番弟子であった寺尾求馬助が細川藩の家臣としての知行地を有し、
  当時は屋敷が有って住んでいたのです。そして、今もその墓が残っているという史実が証明する通りの歴史があるからだと

  言われています。 この事は下欄に掲示する新聞切り抜きの記事にも記載されています。
 




 昭和40年北九州ブロック剣道大会以下熊本県中体連大会等全て優勝
主要な戦績は宇城市立三角中学校HPの沿革史(青海中・S40)に掲載中です 
 
優勝旗7本など・最後列右3人目は木村久二師範・左端は中山光次校長 
  初段は黒胴 ・ 選手のマチオは後2列左2人目、ヨシトミは最前列左3人目、ヒサトシは後  列右端、ヨシノブはその左、ヨシテルはマチオの右2人目、カツミはその右隣です


 
  当時は小・中学校とも武道場といった場所は無く、体育館が出来るまでは通常の教室の仕切りを取り外して机・椅子を引

 い た教室2室分を剣道場として使用していま した。 朝練は稽古着・防具は着けないで基本的な稽古をしていました。
 授業後の稽古には剣道担当師範で全国的にも有名だった木村久二先生の他、複数の教師が稽古に出る他、小学校の剣

  道教師、海上保安庁の先生、一般人の方 も稽古に来てくれていました。

  一般の人と言うのは、農家や漁業のおじさん達でした。 「百姓仕事が早く済んだから」等と言って、作業服のままひょっこ

  りと来て稽古をするんです。防具は立派なものではないが学校にあるのを使っていました。我々は、入れ替わり立ち替わ
  りやって来るそうした大人を相手に、必死になって立ち向かっていました。


 
阿蘇の白水中学校との合宿練習


    夏休みには、中学校の当直棟で合宿したり、阿蘇の白水中学校との交換合宿による練習がありました。1年毎にお互い

  の家庭にホームステイする形での合宿でした。阿蘇の白水中学校との交流は、剣道師範であった木村先生の師匠が白水

  中学校を教えておられたという縁だったと思います。



 
阿蘇の白水中学校体育館にて

 
   剣道部だけは伝統的に強かったということを親達から聞いて育った感じです。優勝旗が何本もある訳ですが、それが普通
  といった状態で特別なことではなかったのです。私の3年生の時には県下大会以下は全て優勝したと記憶しています


  そして、阿蘇中学校体育館で行われた県下大会での優勝が九州大会行きのキップだったのです。この時、柔道は山下泰
  裕さんの母校藤園中学校が優勝していました。 この後の九州大会は長崎市で行われた第一回目の大会で、我々はこの

  試合でも優勝しました。この帰り道は優勝の凱旋パレードでした。長崎県島原市からフェリーで
三角(みすみ)港に着き、そこから20
  キロ位の距離をタクシーに分乗して帰校しましたが、その沿道には有線放送で知らせを受けた住民の人達が出迎えて祝っ

  てくれました。その後、町の料理屋で祝賀会がある等大変な騒ぎでした。



 

昭和40年10月頃熊日新聞掲載


     しかし、われわれが阿蘇町で行われた県大会や長崎市内で行われた九州大会への出場には資金繰りで苦労があった

  のだと思います。私たち剣道部は日曜日等に里山に入り、ドングリを拾い集め資金稼ぎもしました。 何でも、ドングリの中

  に出来る虫が鯉の餌になるとかで、布製の米の一斗袋を持ってみんなでドングリ拾いを何度かした覚えがあります。




 

 熊本県大会での優勝メダル写真

 



  左同・裏側拡大写真



 

九州大会優勝の副賞(幅45センチ・縦41センチの布製掛け軸『偶成』)
(警察の章が入っているのは警察主催の大会だったと思われる)


   上の漢詩は、1130年〜1200年の中国の儒学者朱子の作とされている「偶成」です。 

   読み方は、

     
少年老い易く学成り難し ・ 一寸の光陰軽んずべからず ・ 未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢 ・ 階前の梧葉(ごよう)(すで)に秋声

  です。

  現代語訳にした意解は、

     
若者は年をとり易く、学問はなかなか完成しにくい。
             だから少しの時間でも軽々しくしてはならない。

         
池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢がまだ覚めないうちに、
             庭先の青桐の葉には、もう秋の声が聞かれるように、月日は速やかに過ぎ去ってしまうのである。


  という意味です。


 

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