三角町立   郡 浦 小 学 校
  剣 道 部 の 思 い 出

   郡浦小学校のクラブ活動は4年生からで、同じ集落の同級生の従兄弟が剣道部に入っていました。私は小学校3年生
 で自転車の単独事故を起こして自宅近くの川底の平たい大石に頭から突っ込んで瀕死の怪我を負い小学校3年生は長

  期欠席し、その負傷から立ち直った後で結核性の肋膜炎を患い小学校4年生は授業が終わると時々バスで町までの病
  院通いをしていました。

  それ以外の日はソフトボール部や剣道部等の同級生と一緒に帰るためにクラブが終わるのを毎日待っていたのです。 

  その間、よく剣道部の練習を校舎の窓ガラス越しに見ていました。そうしている内に剣道がやってみたいという気持ちになって行ったの
  です。  


優勝旗は夏に行われる三角みなと祭りでの金比羅神社奉納剣道大会での優勝
 
昭和38年3月郡浦小学校6年生・管理者は前列左3人目・右端は中川道人先生


    郡浦小学校の剣道の指導教師は中川道人先生でした。私が、病気が完治したことの所見を病院の先生から聞いた
  のは小学校5年生の初夏頃だったと思います。それで自ら職員室に行き中川先生に「剣道部に入れて下さい」とお願

  いしました。その時、先生は「病気しとるだろうが」と仰られましたので、「治りました」と申し上げたら「よし!」と言って下
  さり、入部の許可を頂いたのです。この「よし!」という気合いの入った力強い言葉が、今でも脳裏に焼き付いています。

  しかし、既に同級生達とは1年以上の練習の差がついてしまっており、運動能力も良い方ではなかったので中々上達
  はしませんでした。 それでも練習は一生懸命にやったと思いますし、今思うと皆と一緒に練習出来るのが嬉しくて楽し

  かったのだと思います。 土曜日などには同級生と防具を担いで中学校まで練習に行っていました。



 
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