小脇郷の伝説と歴史
     筏 川 の 清 掃 ・ 環 境 保 全

   筏川の引水については、いにしえの昔に、朝鮮半島を
  追われた高麗人達が朝廷が指定した蒲生野一帯に配置

  され、河原同然だった小脇郷では当時の高度な土木技
  術を駆使して愛知川から引水する等田圃を開墾して初め

  て稲作が出来るようにしました。
   この川は、取水口付近では 「駒の湯」 [駒の井」等と呼

  ば れ、下の方では 「筏川 」 とか「大川 」等と呼ばれてい
  ます。





 


   稲作農耕用の水が間断無く流れて来ることは、人々が生き
  て行くうえにおいてこの上無い願いでした。

 こうした稲作農耕には欠かせない命の水とも言える筏川
 の用水の流れを守ることについては、 川の沿線集落の

 代表者が寄り合い、決め事を掟として厳しく守ってきまし
  た。また、小脇郷が彦根藩領となってからは川奉行によ

  る統括管理が行われ庄屋等が命によりその代行に当た
  るなどしていました。

  


   この重要な一つが、いにしえからの「川掃除」です。近
  代においては、金屋の筏川覆蓋工事(筏川に
(ふた)をして道

  路化した)に際 しても相当にもめ、 川掃除は覚え書きの
  内容の重要な一つと して残っているのです。


   滋賀県では、 30年前から、 毎年7月1日を「びわ湖の
  日」として、その日に合わせて県内各自治会はびわ湖環

  境を守るため一斉に河川の清掃活動を行っています。




 



 



   ここ小脇郷では気の遠くなるような大昔から、筏川の清
  掃活動が続けられています。 ところが、 その趣旨は若干

  異なって来ています。
   と言うのも、 小脇郷での農業用水は別途ダムからの引

  水を使用しており、筏川の水を農業用水に使用するとい
  うことは無くなっているからです。



   
   それで、びわ湖の日30周年記念となる今年(2012)
  も、6月17日(日)朝から筏川の清掃が行われました。

  今や川底にもコンクリートが敷かれ藻の発生も少なくなっ
  ています。

   これは公共下水化が高度に進み、川の水も汚濁とい
  う状況から脱して、見た目からでも透明度が確認できる

  状態になっているからだと思います。

 

 
   しかし、問題は空き缶のポイ捨てです。
  筏川沿いの道路は、八風街道の古道となっていますが、

  特に自転車の通行は昼夜を問わず多いのです。
  この途中に心無い人が飲み干した空き缶を捨てるのを目

  にすることがあります。何処でも自動販売機には空き缶
  入れが設置されていますが、そこに捨てる人はマレであ

  り、ほとんどが「ナガラ族」なので、飲みながらの途中捨て
  るという 訳です。 

 それで、川の「たまり」部分、つまり川底の途中途中に設
  けられた沈殿箇所には,空き缶が無数に溜まるのです。

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