金堂の見どころ(近江商人屋敷・他編)

外村繁邸(外村繁文学館)

 外村繁家は隣家外村宇兵衛の分家に当たり、明治四〇年当主吉太郎が本家から独立、東京に呉服木綿問屋を開いたのが始まり。
 外村繁は明治35年に三男として生まれ、京都第三高等学校を経て東京帝国大学に進み、文学を志した。父の死後、一時家業を継いだが、 再び文学の道に入った。数多くの作品を遺し、昭和36年58歳で亡くなった。
 本邸は、「外村繁文学館」として彼の作品を紹介している。

外村宇兵衛邸

 平成4年に町指定史跡「近江商人屋敷旧外村宇兵衛邸」として指定、平成6年6月より一般公開。敷地は東前半部分と西後半部分とに分けられ、後半部分にはかつて、 土蔵、離れ座敷、米蔵、小屋等が配置されていたが、現在は空き地となっている。
 主家は中央が二階建て、北部と北西部が平屋になっていて土蔵と接続している。主家背面にはオクニワに続いて平屋の水屋棟が建つ。 主屋の建築年代は万延元年(1860)、土蔵は万治元年(1864)。

中江準五郎邸

 三中井百貨店を築いた中江四兄弟の末弟、準五郎氏の本宅。昭和8年建築。 主家は二階建てで、屋根は切妻。蔵が二棟あり、中には小幡人形及び全国の土人形が多数展示されている。庭は池泉回遊式。

金堂まちなみ保存交流館

 この屋敷は、元は外村宗兵衛家の建物で、後に中江富十郎家となった。江戸後期に整形六間取の平屋建てとして建てられ、 明治六年(一八七 三) 外村宗兵衛により二階建てに改築、ニワ(土間)の南面に落棟が増築され、平屋のミズヤ(炊事場)、さらに奥に二階建ての座敷が追加された。
 平成二十年「金堂まちなみ保存交流館」として再生され、その管理運営は、金堂まちなみ保存会が担う。

金堂陣屋跡(稲荷社)

 貞享2年(1683)に本多忠平が大和郡山藩主として入封した際、近江国内で四万石の所領が与えられた。 このうち、蒲生・神崎・坂田三郡の所領を管理するため、金堂に陣屋がおかれた。
 「神崎郡志稿」に収録されている古図では、 長屋門と塀に囲まれて、役所・役宅と土蔵・牢屋・稲荷社があったことがわかる。明治5年に廃止された。

長屋門(旧陣屋)

 金堂陣屋が明治五年に廃止された際、陣屋の長屋門は、勝徳寺の表門として移築された。 中心に門を構え、両側にそれぞれ長屋がつき、門と家臣の住まいを兼ねている。
 門にはケヤキの柱梁が用いられており、門扉の釘隠しには柳澤家の紋所、四つ花菱が使われている。