金堂の見どころ(神社・仏閣編)
大城神社大城神社は金堂の産土神である。もとは大宮神社、天満宮と称したが、明治三年六月今の称に改まり、同14年6月、郷社に列せられた。往古、本殿は今の祠の東北一丁のところにあり、厩戸皇子の創建と伝えられる。嘉應二年今の位置に社殿は移された。 高皇産霊神、伊邪那岐命、出雲路幸神、天児屋根命、天満宮、武内宿弥大臣を勧請合祀している。 近江の守護職佐々木氏の居城観音寺城の丑寅の位置にあたるため、城郭守護神としても崇敬された。 |
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日若宮神社大城神社の境内社であり、伊邪那岐命、出雲路幸神、天児屋根命、武内宿弥大臣を祀っている。今の社は昭和50年建立。 |
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安福寺天台宗寺院。現在は浄土宗。創立、開基共不明。金堂始まりの寺と伝えられている。本尊の阿弥陀如来坐像は慈覚大師の作と伝えられる。 寺宝に六幅の地獄絵があり、作家・外村繁が小説「澪標」のなかで、「春秋の彼岸会に、地獄極楽の絵が掛けられ、その絵を見て戦慄を覚えた」と記している。 |
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浄栄寺浄土宗寺院。創立は不明。もとは清光山不動院と称した。寺伝によると、聖徳太子が金堂の地にて休息していると、不動坊という僧が現れ、太子をもてなした。 その後両者が力を併せ、寺院を建立した。そのとき最初に建てたのが金堂であり、これがこの村の名となった。 不動坊は建立後に去ってしまったが、実は不動明王の化身であった。聖徳太子はこの不動明王を祀るため、不動院を建立した。 不動院はその後なくなったが、浄栄法師が再興し、今の浄栄寺となる。 本尊の阿弥陀如来坐像は惠心僧都の作と伝えられている。 |
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弘誓寺真宗大谷派寺院。近江七弘誓の一員。江戸時代には中本山と云われ、付属の末寺が蒲生・神崎・愛知・坂田4郡にかつて二十五寺あった。寺伝によると、開基は那須与一の孫“愚咄坊”といわれている。主要部は、宝暦14年(1764)に完成。 本堂は昭和六十二年に国指定重要文化財となった。 表門は市指定文化財。本尊は阿弥陀如来。 |
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勝徳寺真宗大谷派寺院。文書によると永正12年(1515)建立。開基持閑。もとは勝徳院と云われ、郡山藩柳澤家の供養堂であった。庭には、昭和62年の屋根葺き替え工事の際に下ろした鬼瓦が、記念に残されている。 |