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我々は、3年生の時となる昭和43年度インターハイ(高校総体)と国体のいずれも大阪府代表となりましたが、戦績は 広島県三次市で行われたインターハイ3位が最高成績でした。 その他の試合は、近畿大会以下の大阪府下での試合は全て優勝しています。 だから校長室には優勝旗12〜3本が並んでいたのです。 |
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大阪城修道館 試合前の精神統一の黙祷・管理者は左背面姿 |
大阪城修道館 試合開始・管理者は選手右2人目 |
各大会での、決勝戦の時には数年間の連続優勝のため、全参加校の選手や応援者がいつでも相手校の応援に回る ので異様な雰囲気の中での試合となり、若干の緊張感が漂っていました。 しかし、「必ず勝つ」という信念で勝負にだけ 集中し仲間との信頼感もあったので、そうした応援者を含めて気持ちで相手を呑み込み勝負を制していました。 |
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大阪城修道館 左側管理者の面の打突 |
大阪城修道館 右側管理者の出籠手の打突 |
PL教団新聞掲載・S43.5頃 |
全ての試合とも決勝戦までは、まるで高校3年生と中学生の試合の様で、全く相手にならなかった印象が今でも残って います。決勝だけは若干の緊張があったのを記憶しています。 しかし、連戦連勝というのは、何か自信というか・・・、そ の場で優勝ばかり続いていると、それが当然である様な錯覚に陥っていたのは事実です。兎に角、中学時代から負けた 事が無い道を歩いていたのです。しかし、ここで慢心が生じると成長・向上は止まるのです。 |
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大阪城修道館 優勝旗を受ける管理者 |
大阪城修道館 インターハイ大阪予選優勝 ・ 管理者は右2人目 |
PL学園高校剣道部の選手用の稽古着は薄紫色の手差し仕様で、 で横書きに刺繍され、防具も特別仕様の高級品で黒銅の前面に金色で丸にPLのイニシャル文字が入ったものでした。 この選手用の稽古着・袴・防具は5人分だけしかありませんでした。 そして、この試合用の稽古着・袴・防具は特別な保 管場所に保管されてありました。 |
校 内 掲 示 インターハイ選手紹介写真(管理者) |
大阪城修道館 国体大阪府予選優勝 ・ 管理者は右2人目 |
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