黄檗宗 天龍山 梵釈寺 top

2010年5月、甲賀市水口より東近江市能登川方面へ向かう途中 天龍山 梵釈寺というおてらに立ち寄らさせていただきました。
以前からこの道を通るたびに気になっていたのですが横を通過するのみでした、今回たまたま走っている途中にここの駐車場借りて車を止める必要があり、何かが私を引き寄せてくれたのかなと中へ入らせていただきました。
本堂へお参りさせていただいたり、宝篋印塔を見せていただいていると、お家の中からご老人(あばあさん)に声を掛けていただき、ぶらりと立ち寄った私にお茶やお茶菓子を出していただき、ありがたいお話も聞かせていただきました。
また、かわいい手作りの手芸品も頂きました(写真下)。
私にとってはおばあさんの気持ちのこもった大切なお守りとなりました。
またリーフレットは手作りで作られ、心のこもったものでした。


天龍山 梵釈寺

鐘楼を兼ねる門を備えるこの寺の創建時期は、一説には延暦五年(七八六年)桓武天皇の御代大津滋賀里の山中に建てられ栄えていた梵釈寺の面影を映し、在地の豪族が天文年間(一五三二年〜一五五五年)に鋳物師村に建立したされ、中世の戦国時代以後は衰退していたこの寺を天和年間(一六八一年〜一六八三年)に日野正明寺の晦翁禅師の梵釈寺復興の志を領主奥田八郎右衛門が聞き、寺一切を寄進、その後、元禄十一年(一六九八年)圓通和尚の時、旧領主奥田三良衛門の寄進により、現在地に堂宇伽藍を移築し、その師黄檗宗4世濁湛禅師を招いて開山とし、山号を天龍山としたとつたえ、本堂内に濁湛禅師揮毫の連が掛かる。
寺宝 本尊 阿弥陀如来坐像
高さ120センチ、国の重要文化財指定
高い宝髻を結び、列弁文の宝冠、胸に瓔文をつけていることから永く観世音菩薩として信仰されてきた。
藤原時代の作風とされ、漆箔つくりで阿弥陀如来坐像としては最古、最大の仏像。
像容は、円仁(慈覚大師 七九四〜八六四)の請来による金剛界八十一尊曼荼羅に基づく比叡山常行三昧堂の本尊にならった宝冠如来像といわれ、桧材で内刳手施されていません。
手は上生印を結び結跏趺坐し、衲衣は襟を広げ、鎬だった襞を掘り出し、面相は鋭く厳しい表情ですが衆生の心を受け入れてきました。

宝篋印塔
鎌倉時代(一三二八年)に建立されたものでり、塔身に嘉暦三戊辰(一三二八年)九月五日「大願主沙弥道一 藤原□□」の刻銘がある。
塔芯や笠の四隅にも梵字が彫られ、基礎の格狭間には三茎蓮、散蓮、近江式装飾文といわれる孔雀の文様が彫られ、石材は日野町蔵王で産出する花崗岩で造られている。
相輪は在所近所の川から三百数年ぶりに発見され、平成二十年に復旧された

※各説明の内容は 梵釈寺 リーフレットを参考にさせていただきました
写真はこちらでもごらんいただけます→フォトアルバム

頂いた手作りのお土産と手作りのパンフレット

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