歴 史 が 刻 ま れ た 身 近 な 場 所 




信 長 の 天 下 布 武 緒 戦 



 箕 作 山 城 の 戦 い     No,3


                           木下藤吉郎軍の名誉の先駆け

   永禄11年9月12日(新暦10月26日)、お屋形さまから過分なる名誉の先駆けを仰せ付けられた木下衆は、昼七つ申の刻
  (午後4時前後)から競って駆け上がり攻めたのです。しかし、箕作山城は古来より佐々木氏の防備が堅く、堀を割り、鹿垣を

  山麓より二重三重にした堅固の構えにし、立て籠もっていた吉田出雲守 ・ 建部源八郎 ・ 狛修理亮ら3,000人は強兵を誇っ
  ていました。

  そして山は急坂で大木が山を覆い、攻め落とすのは容易ではなかったのです。
  木下軍と丹羽軍は申の刻半刻(午後五時)の頃まで何度もよじ登り懸け合ったのですが、その都度追い崩されました。 
                           




箕作山城攻め想像図 (国土電子ポータル参照)


   このまま夜を徹し取り合っても無策に等しいと思った木下藤吉郎は、配下の蜂須賀小六彦右衛門に
      某(それがし)いまだかつて、かくのごとき城攻め覚えなく、不甲斐なきことに候。味方の手負い討ち死に多く、このままでは面目立

      たざるなり。 何ほどの手立て相無きなりや
  と相談したのです。すると蜂須賀は

      明朝城を取るためには、速やかに夜討ちの手立てが肝要
  と夜討ちの戦略を明かしたと言われています。

  

 

箕作山を北東より撮影


    木下軍と丹羽軍は申し合わせて、直ちに三尺(約1メートル)の大松明(たいまつ)を数百本用意しました。 この頃、山麓周辺の田圃は既
  に稲刈りが終了しており、田圃にはいたる所に収穫後の稲わらがうず高く積み上げられていました。

  これを利用して松明を作ったもので、この時期には午後5寺半にもなると辺りはつるべ落としの如く暗くなるので総員掛かりで松
  明を急ぎ作ったのです。

  そして、山麓から中頃まで50有余ケ所にこの松明を並べて積み置き、夜にまぎれた頃合を見計らって一斉に火を付け、 各自に
  松明をかざし、振り立てて攻め立てたのです。


 

箕作山山頂部 ・ 鉄塔位置が主郭部分

 

縄張り

    しかし、この強兵達も、敵勢を追い崩した後の一段落で気を抜いていたのか、あるいは下からの火攻めに合い山ごと焼き尽
  くされると怯えたのか、形勢が逆転するに至り夜討ちに勝けたる蜂須賀彦右衛門の手の者と前野将右衛門の手の者が終には

  四方からよじ登って切り廻り、200有余の首を取ったと伝えられています。そして信長の望みであった箕作山城を一夜のうちに
  取り落としたのです。


 



箕作山西側中腹より繖山(観音寺城)の眺望


北東方向の宇曽川より箕作山の夕焼け 
 

(H24.10.18 17:20撮影 ・ 台風21号の影響で曇り焼け)


   そもそも木下藤吉郎秀吉は、永禄7(1564)年、足軽百人の頭として成り上がり、以来5年の間に、その勢力2,000有余を擁
  し、重代の歴々衆を差し置いてこの戦いでは一番駆けに攻めました。その結果、篭城の佐々木勢は城を捨てて退散したのです。

  こうして9月12日夜中に箕作山城を陥れた信長は、翌13日には箕作山に本陣を置き、文明3(1471)年に完成した観音寺城
  を下に見下して采配し攻撃を開始しています。


 
 
繖山に展開していた観音寺城の復元 (安土城考古博物館)



    ところが観音寺城に篭もっていたはずの六角承禎 ・ 義治父子は、その前の箕作山城の落城を見て夜中ひそかに城から逃れ
  甲賀へ逃げ去っていたのです。

  それで、この戦で観音寺城は戦わずして落城となったのです。 そして傘下残余の支城はことごとく降参し、その守将達は人質
  を出して信長の傘下に入ったと記録されています。

  観音寺城は落城後、その石垣等は上のパノラマ写真の(きぬがさ)山奥となる安土山に築城された安土城に使われています。

 

 

箕作山城の主郭跡に残る石垣

 

左    同

 
        スズメバチの巣

  箕作山西方の木立の間から繖山を撮影し
 ようと木の枝を切り払っていたところ、ハチ

 の攻撃があり逃げて確認すると、左の写真
 の通りスズメバチの巣らしき直径20センチ

 位の茶色の固まりがあり、ハチが沢山居ま
  した。




    
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終 わ り 

       続きの作成予定

  宣教師フロイスが、信長と18回にわたり面談しロ

 ーマ法王に報告した信長の素性性格等を紹介予定

 です(期日未定)。