蛭   子   神   社 
 
蛭子神社宮跡

   蛭子(えびす)神社は、東近江市小脇町の宿集落の東はずれにあ
  り、神社は南向きに建てられていました。    

   この神社の南側には狛の長者により開削されたと伝えら
 れる筏川が東西に流れています。この筏川の南面、つまり

 川の左岸沿いには大昔からの八風(はっぷう)街道が通っております。
 今から25年位前だったろうか、春祭りを見に来た地元の今

 は亡き、兵吉(ひょうきち)という百歳を前にした古老から聞いた話ですが
 、この道は明治の頃は鈴鹿峠越えのメイン道路で、人や荷

 駄車の通行で賑やかだったそうです。
 その後、現在の国道421号線が設置され通行の流れは新

 道の方に変わったと言っておられました。だから、明治の頃
 まではこの街道を通る人は蛭子神社に参拝しながら、その

 前を通っていたのです。
   ところが、この蛭子神社は明治初期の台風で祠が倒壊し

 たと記録されています。この頃の台風被害としては、@明治
 3年7月16〜19日、A同年9月7日、B同年9月18日の3

 回に亘る被害資料がありますが、この台風だったのか神社
 倒壊についての詳しい内容は現在のところ確認出来ていま

 せん。その後は、地元宿集落の会議所(現・自治会館)に社
 を移して祀られるようになりました。しかし、この蛭子神社(祭

 神名・事代主命(ことしろぬしのみこと))は、明治元年の神仏分離の政策を図る法
 律が下り、明治4年の太政官布告に基づく社格制度により

 無格社として明治42年7月5日付をもって、郷の氏神に指
 定された阿賀神社(通称・太郎坊宮)に合祀されるに至って

 います。(滋賀県庁蔵書調べ八日市市史掲載) 
 それでもご神殿は現在でも宿自治会館に祭られており、現

 在講組織により、各種祭礼行事を行っています。

 
蛭子神社宮跡の碑
 
蛭子神社の現 ・ 神殿
    次ページには、蛭子神社の祭礼行事を掲載しています。

    閲覧するには、右のボタンをクリックして下さい。

Link top リンク集へ
  
次ページへ