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大澤のかしわ飯は先祖からの伝統で独特な炊き方があります。
祭り、入団式などお祝いごとは”すきやき”
雪かき、根骨おこし、溜普請など慰労会のときには、昔のことですので材料が少なく出来て、手近かな材料、お腹も満足し、酒のあてにもなる”かしわ飯”がご馳走となっていました。
先祖の時代から何回も何回も作っているうちに改良が施され、大澤独特な炊き方となったのでしょう。
今回新聞報道でもおなじみの大澤名物かしわ飯名人と言われる夏原亀次良さんにお聞きしました。ここにその背景、炊き方の一遍を紹介します。 
新聞報道:http://www.bcap.co.jp/s-hochi/03-02/n030214.html#4

わしの若いとき(若志「わかいし」のとき)はな、雪が降ると”まいがみ”の長が区長さんの家へ行き、”雪かきをしますか”と聞きに行く。行うとなったら”まいがみ”は手分けして若志の各戸の戸を叩き(昔はインターフォンが無い)、たたき起こす。(だいたい朝6時くらい)それから朝の通勤、通学時間帯の前に小学校道を若志が一列になり下里の字まで雪かきをする。雪かき道具も棒の先に板ぺっらを付けただけの粗末なものや。昔はよく雪が降り何回も雪かきをやった。雪のしんしん降る時や、吹雪の時もある。晴れた時は押立山が雪でおおわれて本当にうつくしい。
若志は朝早くから苦痛かと思いきや、全然そんなことは無く、若志みんなで作業がやれことや、夕は慰労会の”かしわ飯”があるとのことで心もうきうき、歌も歌い、雪道で転げたりで楽しいものやった。
夕のかしわ飯は誰が炊くというのではなく、若志がすべてやらんとあかん。
若志が3〜4合の米と野菜はたまねぎを持ちより、鳥は各家で飼っている名古屋コーチンを3羽を生きたままわけてもらった。

鳥を”つぶす”のは17から18歳ぐらいの者、毛むしりは”まいがみ”の上の者が行い、解体は20歳ぐらいの者が行って、煮炊きはそれより上の者が行う、完全なる分業制となっていた。
まず、大なべで解体した鳥がらでだし(スープ)をとる。だしが取れたら、鳥の身(具)を入れ煮る。たまねぎもほり込む。
鳥の具の煮炊きと平行して、”ゆだて”(沸騰した湯に米をほり込むこと)で米を炊き、8分目ぐらい炊けたところ(水気がなくなったところ)で鳥の具スープをほり込む。今度は蒸らすように炊き込む。仕上げにネギを入れてまぶし出来上がりとなる。
鳥の具スープと、”ゆだて”の水かげんが非常に難しく、まだ芯が残っているかしわ飯も食べたこともあり、そこでいかに美味しく蒸らしたかしわ飯が炊けるか、また鍋の周りに付く”おこげ”も適量に作らなければならない。大澤かしわ飯名人の本領が発揮されるのである。美味しいかしわ飯は”おこげ”も美味で美味しく、みんな奪い合って食べたものだ。

このように大澤名物かしわ飯は作るのですが、他の字にもあるのかさだかではありません。
大澤名物かしわ飯名人と言われる方は夏原亀次良さんと福田金左衛門さんがおられ、他に多くの奥さん方々が大澤とその家の伝統の作り方、味を受け継がれておられると思います。
 嘉隆、真紀