識字率向上に一役
海を渡ったガリ版
=文・写真 蒲生岡本町 岡田文伸=
▲初めて鉄筆を握る先生の筆圧は完璧!!
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●関空から10時間
「五十年前の日本が見られる」。そんな光景に出会えることを期待して、私は昨年十月二十四日、関西空港発バンコク経由で、赤レンガのターミナルが見えるネパールの首都カトマンズのトリブバン国際空港に降り立った。ネパール滞在五泊六日のスリリングなドラマの幕開け。
電気のない山村部で、子どもたちの大半が学ぶ小学校にガリ版を贈る目的でやってきたが、果たして使ってもらえるのか。ネパールから京都大学へ留学に来ているサキャ・ラタさんからは「文字に頼らず、言葉で伝えた方が早くて便利なので、どうでしょうかねぇ」と不安な返答。
▲「ナマステ」と手を合わせ出迎えてくれた全校児童195人の大きな瞳
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●ブッダ基金と京都中RC
この事業は、約三年前、京都大学へ留学に来ていたホム・バハドゥール・リジャル氏と京都中ロータリークラブ(以下京都中RCと呼ぶ)の出会いからはじまり、京都中RCがリジャル氏の要請により彼の故郷サッレ村をモデル的に支援することを決めたという。さらにサッレ村では、NPO法人ブッダ基金も生活調査と教育支援を行っていることから、今回は合同で参加した。
京都中RCはこれまで村に道路がないことから、全長四キロの新設道路を計画し、現在三分の一まで工事を進めた。道路名は“京都ロード”。また、識字率の向上に重点を置き、今回、ガリ版の普及に着目していただいたわけである。
本当の幸せとは何かを
考えさせられたネパール5泊6日
●ピーパル小学校へ
京都中RC海外支援団一行(七人)は、カトマンズで市内観光後、NPO法人ブッダ基金と合流。一夜明け、四輪駆動車四台に分乗してダーディン郡サッレ村バル・ピーパル小学校(バル・ピーパルとはガジュマルと菩提樹という意味)を目指して出発した。
混雑と土埃と車のクラクションの大騒音のカトマンズ市内を通り抜け、国道をラリーのごとく走行する運転手の勢いを抑えながら四時間揺られ、さらに一時間オフロードラリーのような凸凹砂利道の山岳地帯を抜け、やっと京都ロードに着いた。
その起点で村人たちの熱烈な歓迎を受け、道路の進捗状況を視察。村人百人が総出で農閑期に二年間かけて造成してきたという。ひたすら牛と人力だけで造成された道を眺め、村人の団結力とエネルギーに感動を覚えた。
▲すし詰め状態の中で開いた先生対象の「ガリ版教室」(ネパールダーディン郡サッレ村にあるバル・ピーパル小学校で)
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さらに歩くと、バル・ピーパル小学校の進入路両脇に全校児童百九十五人が、大きな瞳を輝かせながら並んでいた。拍手喝采の中、京都中RCの団長・鈴木基一さんはにじむ涙をこらえて、握手握手そして「ナマステ、ナマステ」(あいさつやありがとうなどあらゆる場面で使用するチベット語。人との出会いや自然の恵みすべてに感謝する気持ちが込められているように感じた)の連続。我々に対する期待
紙教室、七人の先生には職員室でガリ版教室を開いた。小学校といっても土屋が三棟、職員室は手作りのイスと机が二セットしかなくすし詰め状態。でも、農作業で学校へ通えない友だちと比べれば楽しい学校生
東近江市蒲生岡本町からはるばる持ってきたガリ版器材と消耗品。先生方の不思議そうな視線を感じながら、段ボール箱から取り出して机に並べた。ガリ版伝承館手製の謄写版・ヤスリ版・鉄筆・ロウ原紙・黒インク・ローラー・インク練り板・修正液、そして日本を旅立つまでに作ったネパール語の解説書を先生に配り、それぞれの名称と使い方を説明。
まずは試しにガリ切り。ロウ原紙をヤスリ版に張り付けて、鉄筆を握って「My name is OKADA」。続いて、鉄筆による先生方の自己紹介。みなさんの筆圧は完璧で、インク練り板にインクを出していざ印刷へ。とてもきれいに仕上がった。
でも、先生方の感激が感じられない。国民性なのか、緊張なのかわからない。それとも必要性を感じていないのか。京都大学のラタさんの言葉が脳裏をかすめた。
●50年前の風景
次の日にも学校を訪問することを約束し、宿泊地であるリジャル氏のお宅に向かった。リジャル氏の自宅玄関に入ると、牛と山羊が小屋につながれていた。そばには家畜糞が堆肥となって高く積まれ、鶏が堆肥を掻き回しながら餌をあさっている。まさに、日本の五十年前の風景である。
一番星が光り輝き始めると、どこからともなく集まってきた大人と子ども五十人ほどが、楽器の演奏に合わせて踊り始めた。我々の歓迎パーティーである。我々の下手な踊りを見て、村の老若男女が大笑い。
夜も更けてあたりがかなり冷たくなった頃、空を眺めると満天の星空に無数の星が降り注いでいる。淡い光の帯「天の川」が悠然と流れ、一分おきに流れ星が確認できて願い事がたくさんできた。「どうかすべての行程が順調で、全員、日本に無事帰れますように」。
●やった!!
明け方五時前、けたたましい鶏唱。私は、家で鶏や牛を飼っていた四十年前ののどかな蒲生を思い出した。そして、再び、バル・ピーパル小学校を訪問。職員室に入って「ナマステ」と朝の挨拶をすると、思いもかけない光景が私の目に飛び込んだ。校長先生が、カーボン紙を使って保護者へ渡す資料を作っていた。
「ありがとう。これからはガリ版のおかげで、カーボン紙が要らなくなる。本当にありがとう」。この一言で、私の心の奥のわだかまりが無くなり、晴れ晴れとした気分になった。この村での同文通信の方法はカーボン紙しかなく、この小学校でガリ版を使ってもらえる確信を持った。
このあと、子どものノートにも直接印刷できることや手製謄写版はシルク布があれば簡単に作れることなどを説明した。さらに、ゴミだらけの教室をみんなで掃除し、住まいやまちにゴミを落とさない教育が大切であることを先生に伝えた。最後にみんなで記念撮影をし、小学校を後にした。
▲検尿を開始したものの、机が傾いているため検尿カップが倒れそうでちょっと不安
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●医療支援も経験
次なる目的地はリゾート地ポカラ。午前四時半に起床。ヒマラヤ連峰が姿を現し、やがて朝日がマチャプチャレ・アンナプルナ連峰を赤く染める、この一瞬をじっくりと脳裏に刻みつけた。そして医療支援に向け、交通渋滞に巻き込まれながら、ポカラから一時間のダンプス村に到着。五百人ほどの村人が歓迎式典を開いてくれた。
首が重くなるほどの花の首飾りをもらって、早速、ブッタ基金やNGO関係者とともに京都中RCのメンバーもゴム手袋をはめ、慣れない手つきで検尿開始。近くの三つの部屋では医師が検診。特に目立つのは過労による女性の病気で、出産後の養生不足により子宮の障害が多いとのこと。
発展途上国特有のさまざまな課題を抱えた国ネパール。ゴミ問題や公衆衛生、貧困、所得格差、ヒンズー教からの階級制度の名残、道路交通問題、男女間の労働差別、農村部女性の過労、学校教育問題など。日本は戦後めざましい発展を遂げ、生活は非常に豊かになった。しかし、心の豊かさが失われつつある。今後、両国の交流を通じて、日本の経済成長や社会資本整備という目に見える成功した部分だけでなく、過疎、高齢化、そして人間関係の希薄化から起こる犯罪など、日本の良くないところも学んでいただき、ネパールでのさまざまな課題を克服し、緩やかな発展を願うものである。
■プロフィール 岡田文伸
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前岡本夢プラン委員長で、生ごみ堆肥化運動にも取り組む。また、ガリ版芸術村準備室事務局として、謄写版文化の継承に力を注ぐ。現在、蒲生地区まちづくり協議会運営委員、東近江市リサイクル懇話会委員。(農業、1956年生まれ)
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