昭和8年頃の謄写版の広告  
 滋賀の堀井新治郎父子が、簡易印刷機謄写版を発明、
販売(1894年=明治27年)してから100年あまり経つ
わけであるが、一定の年齢以上の日本人にはある種の感
慨があるのではなかろうか。 官公庁、軍隊、工場や事
務所そして教育現場の実用印刷機として爆発的に普及し
ていった。また、美術孔版画や自装本など趣味、芸術の
分野でも大活躍をした。この軽便な印刷機は、ヤスリ版
の上で鉄筆を動かすと「ガリガリ」と音がすることから、
親しみを込めて「ガリ版」と呼ばれた。
 コピー機、ワープロの普及により今はガリ版を知らな
い人の方が多くなったが、今でもガリ版の生業社もいる
し、ガリ版の味わいを大切に「通信」づくりを続けてい
る人や美術孔版画の道を極めようとする人もいる。また
電源の不要な利点を生かして発展途上の国々に普及させ
ようと動き出している人もいる。
     
    東京神田といえば、日本一の本の街として知られる。神保町の古書店も以前よりは減少し
スポーツショップの派手な看板がのさばるようになったとはいえ、大通りは学生や愛書家で
にぎわっている。一本、通りを裏に入ると大小の出版関係の会社が多いのも、戦前と変わっ
ていない。これが全国に知られた神田の顔である。
 そしてあまり知られていないもう一つの顔。神田は、ガリ版の発展史に重要な足跡を残し
た街なのである。
 明治、大正、昭和と、神田周辺には関連業者が多く、最新の器材や技法、情報の全国に向
けての発信基地であった。神田は、謄写版発祥の地である。百年あまり前、謄写版の発明
者である堀井新治郎父子は、神田鍛冶町三番地に店をかまえた。
     
    (引用文献:志村章子著「ガリ版文化を歩く」 1995年発行)