訳文

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「あれから一三〇〇年
     そしてこれからの一三〇〇年のために」
 
  (岡本区民のこころ豊かな生活を願って)

 元亀二年(一五七一年)、(高木神社の境内には、まだ圓通寺があったかもしれません)このころ、尾張(現在の愛知県西部)から全国平定を目指した類い希な武将、織田信長はこの近江国にも攻めてきました。長年、守護職佐々木氏の所領であった平穏な近江国も、比叡山延暦寺の焼き討ちを知り、近江の人々は非常に不安な日々であったと思われます。そこで、行く末どうなるかわからないと感じたであろう当時の圓通寺の住職、正恵和尚は霊亀元年(七一五年)に作成された行基法性国師謹書を書き写すとともに、この岡本を含む麻生庄(当時の名称は近江国蒲生郡日野麻生庄)の歴史を克明に書き記しました。 
 平成十四年十一月、蒲生町の支援のもと、「岡本わがまち夢プラン策定委員会」を発足しました。委員会では一年半にわたり、集落の歴史を調査し、区民アンケートを実施し、将来の計画を策定してまいりました。 今後さまざまな課題を克服するにあたり、この重要な歴史を後世に残しながら、末永く岡本区民が心豊かな生活を送れることを祈念して、表題の理念を掲げ、区民の心を一つにまとめ、夢プランが現実になるよう願うものです。

 平成十六年三月吉日
        岡本わがまち夢プラン策定委員会