ほうきょういんとう

    宝篋印塔とは(2000/04/08)
宝篋印塔とは,本来は宝篋印陀羅尼(宝篋印心呪経〜真言密経で、梵文を翻訳しないで読み上げたもの)を納めた塔で,インドのアショカ王が仏舎利を分けて84千の塔を全国に建てた故事に習い,中国の呉越王である銭弘俶が同数の銅塔を造って諸国に分与したとされています。その影響を受けたわが国では,供養塔,墓碑として同形の石塔が造られました。 日本ではこうした形の塔の形式名となっています。尾張旭にある宝篋印塔も墓碑であるとされています。

     宝篋印塔の構成
右上の図は比較的古い時代(例えば奈良時代)の宝篋印塔の典型的な構成です。反花をもった薄めの基壇の上に,平面が正方形の基礎が乗ります。次にやはり正方形断面の塔身を置き,さらにその上に段々(6段)になった笠石が置かれます。一番上には相輪(九輪)が立てられます。笠石の四隅に隅飾りの突起があるのが特色です。塔身の四方には月輪で囲まれた四佛または梵字(サンスクリット文字=古代インドの文字)が刻まれています。

    宝篋印塔の変遷(2000/03/27)
時代が下ると,右下の図のように基礎の上に反花がつき,基壇は飾りのない石か自然石になります(蓮台式宝篋印塔)。また,新しいものほど,隅飾り突起が反りかえり,九輪の上下につく伏鉢や受花が大きくなる傾向があるそうです。尾張旭市の宝篋印塔は隅飾り突起が反り,基礎にはっきりした反花がついていますから,そんなに古い物ではないのではないと考えられます。

     尾張旭の宝篋印塔
ここで紹介する尾張旭市内の宝篋印塔をはじめ,多くの宝篋印塔は石造ですが,まれには金銅製や木製もあるそうです。五輪塚の地名にも見られるように,五輪塔と混同されることがあるようですが,別のものです。「尾張旭市誌」によれば,市内には宝篋印塔が17基,五輪塔も17基あるということですが,完全な形のものは見られず,ごく一部が残っていたり,複数の塔の部品が混ざっていたりするようです。

  【四 佛】
東西南北四方の仏土に住する仏。ふつう,東方の妙喜世界の阿しゅく仏,南方の歓喜世界の宝相仏,西方の極楽世界の無量寿(阿弥陀)仏,北方の蓮華荘厳世界の微妙声(みみょうしょう)仏の四仏をいいます。