−食卓に母がいる−
 「お父さん、ごはんですよ!」
 妻が2階に声をかける。やがてひっそりとした父の足音が階段を下りてくる。
 「これはごちそうだ」
 ひとり言のように小さくつぶやくと、父は私の前に腰をかけた。
 寂しさを微笑みで隠そうとしているのがわかる。父の隣には、主を失ったイスが1つ・・・・。
   西堀博久(東京都世田谷区・自営業・56歳) PHPNo.705より
父と肉じゃが
 母は料理の好きな人だった。料理番組や新聞の料理記事を見ては、よくメモをとっていた。
 しかもそのまま真似てつくるのではなく、必ず母なりのひと工夫をしていた。私たちはその味が
当たり前になっていた。
 料理好きの母を気づかってか、妻は台所ではなるべく手を出さないようにしていた。
 母のほうも長年きびしい姑に仕えてきた苦労をお嫁さんにはさせたくないという気持ちがあった
のだろうか、それとも若くして亡くした自分の娘と重なるものがあったのだろうか、家事の多くは母
が一人でやっていた。
 母は昔から肩こりもちで、よく妻が肩をもんでいた。
 「ありがとう」。そう言いながら目をつむり、首をかしげている姿は本当に幸せそうだった。
 ある日、「お母さんの肩、この頃、細くなった気がするんだけど」と妻が心配顔で言った。
 一度病院に行ったほうがいいんじゃないかと私が言いかけると、病院嫌いの母は「だいじょうぶ。
なんでもない、なんでもない」と慌てて手を振って、私の言葉をさえぎった。
 気にはなっていたのだが、それから病院に行くこともなく一年が経ってしまった。
 「そろそろ照子さんにもお台所を手伝ってもらおうかね」
 そう言いだした矢先には母は病に倒れ、そのまま他界してしまった。
 慌ただしかった葬儀が終わり、家に帰ると母のいない台所がしんとしていた。
 プレッシャーだったと思う。妻が料理本を見ながら一生懸命作っていることはわかっていた。そ
れなりに美味しかった。だが、母の味に慣れ親しんでいる父と私には、どこかそっけなく感じられ
てしまうのだった。
 数ヶ月が経ち、父と私も母の味を忘れかけていた。
 テーブルに妻が笑顔で料理を並べている。
 「今日は肉じゃがをつくってみました」
 肉じゃがは父の好物だった。テーブルの上の肉じゃがを見て、ちょっとびっくりした。上品にのせ
られた絹さやがみずみずしい彩りを添えている。見た目は母の肉じゃがとそっくりだった。
 「おお、今日は肉じゃがか!」
 父が母のことを思いだしているのがわかった。しかし母の味とは違うだろうし、がっかりしなけれ
ばいいが・・・。ひと口食べると父はそのまま黙ってしまった。(ああ、やっぱり母の味とは違うのだ)
母の遺言
 「お口に合いますか?」
 妻が心配そうに訊ねると、父は噛みしめるようにゆ
っくりとうなづいた。 「この味は・・・」
 父が明るんだ顔を上げたとたん、妻は急に席を立
って台所へ行った。
 いったい何事かと思い、私も肉じゃがを食べてみた
が、それはまぎれもない母の味そのものだった。
 妻が一冊のノートを手に戻ってきた。
 「お父さん、これを見てください。台所を整理してい
たら、引き出しの奥から出てきたんです」
 ノートの表紙には、母の字で「わが家の味。照子さ
んへ」と書かれている。
 魚の煮付けを食べてみた。みそ汁を飲んでみた。
どれもこれも母の味だった。「ああ、母さんの味だ。・・
・照子さん、ありがとう」。しんみりと父が言う。
 ノートを開くと、几帳面な字で料理の作り方がびっ
しりと書き込まれている。
 〈ここでフライパンのすみに、ミリンをチャッと入れ
て炒めてね。コクが出るから〉
 〈ここは少し急いで煮てね。そうしないと硬くなっちゃ
うから〉
 〈ここからは弱火よ、急いじゃダメよ。ちょっとめんどうだけど、煮る前にさっと熱湯をかけるのよ。ヤケドしないように気をつけてね〉
 まるで目の前の妻に話しかけるように書かれている。
 野菜の面取りや隠し包丁の入れ方などは、料理に慣れてない妻にもわかるように絵が描かれていた。
 ノートの終わりのほうは、かなり病状が進んでいたのであろう、ミミズが這ったような字になっていた。
 そして最後は「照子さん、あとのことはよろしくお願いします」という言葉で終わっていた。
 「これ、お母さんの遺言だと思う」
 妻がノートを胸に涙ぐんでいる。
 一瞬、沈んだ空気を振り払うように、父がめずらしく大きな声を出した。
 「ほらほら、さめないうちに」
 それは母の口ぐせだった。