里の家をつくる会 代表  川村勝美

第300 2009.12.06

父の死
                   
                   子供時代


 男5人女2人の長男として、大正13年1月3日に生まれました。幼いころに大病をします。当時は、現在ほど医学も発達してなく、「もう、この子の命は無い」と言われ、一か八かで治療した事が、結果、順調に回復をし、元気な身体に戻ったという事です。
 子供のころは、「尋常高等小学校」勉学は極めて優秀でした。学区の(愛知郡)弁論大会に出、最優秀賞を取った事もあります。

                 大工見習い始め

 14才卒業と同時に、親である巳の助の下で、大工の修行に入ります。人望の厚い巳の助は、滋賀銀行の金庫の修理をするなど、ご贔屓にあずかっていました。晃三の初仕事は、草津滋賀銀行の改修工事だったそうです。親に書いてもらった地図を片手に、中仙道をひたすら南へと自転車をこぎ、現場へ向かったと言います。今草津へ向かっても、車で1時間はしっかりかかります。幼い子供にはさぞかし、心細い道のりだったと想像します。現場では、職人さんの飯炊きと、おかず作り。調理の経験のない晃三は、毎日メザシを焼いていたとか!

                  陸軍上等兵

 青春時代を迎えますが、時も太平洋戦争に向かいます。昭和18年神戸製鋼所へ徴用工として勤務につきます。翌年、日本陸軍に入隊。敦賀から中国へと向かいます。運動より勉学の得意だった晃三は、入隊と同時に、陸軍2等衛生兵として教育を受けます。その後、1等から陸軍上等衛生兵と出世を果たしますが、同時に、激化する戦場へと向かいます。
 晃三は、戦場では、銃の訓練は一切受けず、引き金を引く事は最後まで無かったと言います。それより、戦場で被弾した戦友の傷の手当てに翻弄し、いくつかの命を拾い同士のために戦っていました。日本本土では、日本軍の勝利、これまた勝利というように湧きかえっていたようですが、戦場では後軍からの物資の支援も届かないまま、餓えもひどく感じていたそうです。敵機から身を潜めるために、青い麦畑に身を潜め幾晩か。のどの渇きも葉っぱにある露で湿らす程度。水溜りの水を版合ですくい集め、煮沸をし上水を飲むと言った、厳しいものだったそうです。
 昭和20年、広島・長崎に原子爆弾が降下され、多くの人命を失い、終戦を迎えました。終戦後晃三は、中国に抑留されます。翌年、復員をしますが、途中の復員列車で、広島の悲惨な現状を目のあたりにし、厳しかった戦争の爪後に、自分は大工として社会のために家づくりを通し、貢献したいと誓ったそうです。
復員は、昭和21年6月10日、時の記念日です。
 十数年前に、戦友からこんな手紙が来ました。「僕が、機関銃に打たれ後軍に運ばれたときに、川村君が応急処置を手厚くしてくれた。その後病院で治療を受け回復をしたが、君のあの時の処置が良かったから、今の自分がある。感謝をしている。現役から降り余生を社会のために尽くそうと思っている。」という事が書かれてありました。川村君のおかげでといった手紙は、3通ありました。
 戦後60数年になり、どんどん戦争が風化していきますが、「戦争は絶対アカン」という、語り部が、また一人無くなった事が悲しくてなりません。

                大工という大黒柱

 その後は、近所の農家の小作もさせていただきながら、大工仕事という事になります。そう簡単には大工仕事があるわけでもなく、一家の大黒柱として食いぶちを探るために、京都への大工の出稼ぎも2年ほどやりました。稲枝駅始発、帰りは終電。時には、現場でカンナくづを体に巻いて泊まりで、寒さをしのぎながらだと言うから、驚きです。
 戦後の復興時代と、高度成長時代に入り、地元でも次々と仕事が入ってくるようになります。一次は、七人の職人さんを抱えるほどに成長をします。私が小学時代です。中学校一年生の時、念願であった自宅を新築します。家の造りも、民家の装いから、現代的な間取りや形へと変わっていきます。機械化も、地元ではいち早く取り入れ、効率化を図っていきました。このころ、兄弟子の大倉さんが、弟子入りを果たします。私も、続いて晃三のもとへと弟子入りをします。15才の時です。そのころからは、一年に2~5棟の建築をするようになり、順調に事業を伸ばしていきました。
 元々好きだった、盆栽や庭いじり。家の前が作業場という事で、狭くあいた空間で趣味を楽しんでいましたが、昭和62年作業場の移転に伴い、大好きだった念願の、日本庭園を作りました。それから4年の大工としての現役時代で、終わりました。67才の時です。

                  余生を楽しむ

 現役を退いた父は、体の不調を訴えくまなく検査をし、少しづつ治療を重ねながら健康を取り戻していきました。
 字の神主や老人クラブをし、自治会での社会奉仕も盛んに取り組んでいました。あいさつ看板・飛び出し注意の看板・藤棚の整備・三世代奉仕の取り組み・公園のベンチつくり・ペンギンンのつまようじ立てや神酒口の製作・公園のサツキ植えや松の手入れなど、数多くの社会奉仕を楽しみながらしてきました。
 趣味の盆栽や山野草では、株分けや球根の世話をし交配させ・蓮などは株分けをし、友人・近所の方に頂いてもらい、喜ばれていました。
 社会への奉仕と言うからには、とんでもない立派な事で!というのではなく、自分に出来る事、甲斐性にあった事でも、世間の人たちは喜んで下さる、という事を自然と行い、自然体で私たちに、その広い背中で教えていたのだと、無くなった今、感じています。
 浄源寺の渡辺さんの推薦で、BBCの「ほのぼの大賞」社会奉仕部門で、表彰もされました。立派だと思います。

                  病気と闘う

 晩年は、肺気腫というつらい病気で、酸素ボンベ片手に生活をしていました。お天気の良い日は外に出かけていましたが、そのほかは縁側を工房として、竹でトンボやツルのクラフトを作るなど、手先を使った楽しみ事で、時間を楽しんでいました。また、書道も楽しむ事もあり、掛け軸にしてはその出来栄えに満足そうでした。竹細工は、病院・役所・銀行など、近隣のお宅にもと、どこへ行っても飾ってあり、父と友好があったという事がわかります。
 病気と仲良くと言いますが、そんな訳にはいきません。だんだん酸素を話さない時間が増えてきました。また、違った病気も出来、発見した時はもう、手遅れ状態でした。
 最後の入院は、たった3日間でした。おむつはしているものの、最後の最後まで、立っておしっこに行く、という態度で、「大丈夫」を家族に見せていました。本当に最後まで。
 最後の2時間に、家族・親戚がすべて揃う中、静かに息を引き取りました。
 
              父は最後まであっぱれだ

 私は15才からおおむね20年間一緒に大工をしました。この間を思い出しても、仲間の大工さんよりいち早く、木工機械を取り入れたり、営業許可をとったり、車の免許証・建築士・1級技能士・職業訓練指導員など修得しました。「仕事が無くて暇だ」という時期も一切なく、バブルで仕事が出来ないくらいあるという過剰な事もなく、いつもコンスタント。家を建て、庭を作り、戦争で日本のために奉仕した時と同じように、晩年は地域社会のために御奉仕をしてきました。86年間生きてきた足跡は、誰に消せるものでもなく立派だと尊敬をします。小さくなった背中を見ても、やっぱり父の背中はとてつもなく広くて、語りかけてくれていたのですね。
 面と向かって、ありがとうと言った事はありませんが、無くなった今、心からお礼を言わせてください。
  
 お父さんありがとう。

第299 2009.12.06
住宅展
 後日お楽しみに!

第298 2009.11.21
多忙な11月
 11月に精力的に取り組んだ事は、淡海里の家事業協同組合が開催する、住宅展だ。
 組合にしろグループにしろ、結束当時は、目的意識がはっきりしているから、活動も順調ですが、時間がたつにつれ、目的も少しづつずれてきたりし、また、他のグループが出来てそっちの方にいってしまったりと、低迷になってしまうのが本来の姿だと思います。この組合も同様の事です。
 滋賀「ほんまもんの家」の滋賀県統一活動月間に合わせ、組合も住宅展を開催し、広く世間に周知していただく事を目的に開催を決めました。それに向け、会議やその他チラシ・看板・案内など多忙のスケジュールでした。
 1日は、東近江市役所での農林水産祭りへの参加。
 4・5は、親戚のお葬式の手伝い。
 14・15日は、木の家ネットの総会で熊本へ。古川さん始め、スタッフの皆さんにはお世話になりました。
 21日は、三和総合設計にて「人と木ネット」の会議。
 22日は、木考塾の職人部会で、滋賀五ヶ荘の街並み散策と見学会。
 24日は、高田さんのところで、土蔵改修工事の勉強会。(格子壁)
 28・29日は、組合の住宅展。
 と、速足で紹介しましたが、後日紹介させていただきます。
 

第297 2009.10.31

高田・大矢邸上棟
古材の利用
 中仙道66番愛知川宿に建つ家
 

第296 2009.10.19

見て・魅て・味て
 10月18日、永源寺愛郷の里にて、根本セミナー62回が開催されました。
 春の参加は地鎮祭とかち合い参加できなかったのですが、今年から、年2回近くの山を歩こうという企画が立ち上がり、今回は秋バージョン。案内人は、(永源寺緑の少年団)の代表、堤信二さん。
 参加者25人は、片道ダラダラと50分の道のりを、さもゆったりと歩きました
秋の食材 内藤さん夫婦
横田さん親子 マムシ草
 この日の感想
 
 今は中秋という季節でしょうか。すすきの穂が秋の風にしなやかに揺れ、柿の実も、もう少しで食べごろという、とてもいい頃です。
 今回のセミナーは、「見て・魅て・味て」。秋を満喫しましょうと、とても良い企画でした。青空の下、山道では、漆など早く色ずく木々は、紅色に染まり、道沿いに植えられた桜も、木漏れ日に日をかざしながら、透き通るような表情で、私たちを包んでくれました。
 いくども、堤さんから植物の名前や特徴を説明していただいたものの、なぜか頭に入らず、「思わず頭が固くなってきたな~!と、いや!物覚えが悪くなってきたな~!と、加えて、足腰の痛みも感じながら!森林浴が、脳の活性化と足腰の漢方薬なら、毎日でも散歩がてら運動をし、季節も感じられるのにな~と。
 この散歩コースには、手入れされた健全な森・間伐もされず暗くなった森・植林されてまだ、何年もたっていない、若い森・獣害から木々を守るため、人の手の入った森・皆抜された後、松が茂った森・松枯れで伐採されてしまった森など、ひと通りの森が、いろんな風景をつくっていました。
 山の恵みを、私たちは家づくりという過程で受けています。水もそうです。足を進めていくと、激しい水の落ちていく音がしました。縦に伸びていく水の帯が、水しぶきをはねながら落ちていました。あの水は、深い山の奥から何年もかかりながら、地の底を這いながら、浸み出し川をつくりいつの日か、人々の恵みとなっていくのは間違いのない事でしょう。

 堤さんの「これ食べられるで~」「てんぷらにしたら美味しいで~」の言葉に、つい、ひとつふたつと引きながら、お昼のごちそうにと備えました。キノコはないんだろうか?まつたけは?「そんなの無いに決まっている」のに、なぜか視線は森の中を向いてしまう。そういう自分がおかしい。
 パソコン相手のあなたには、ちょうどいい散歩運動だったのでは?
 お昼は、レモンなんとかのお茶で始まり、しし肉のダッチオーブン煮、こんなのは初めての味覚だ。やわらかくておいしい。てんぷらも、何やこんやと食材はたくさんありました。柿の実にワサビを塗ったてんぷら、ゆきのした・柿の葉・たんぽぽと。岩魚のほう葉のみそ焼き・ひねたカシワの焼き肉・(歯が痛くて噛めなかったが美味かった。)タンポポコーヒーなど、どれも、とてもおいしかったです。
 段取りをしてくださった皆さんに感謝です。特に、灰谷さん・森さんの奥さんには、お世話になりました。
 
 森の恵みには、気づかないものがたくさんあります。気づきも大切な学習ですね。

第295 2009.10.06
森づくり交流会2009
 今年の交流会は、滋賀らしい環境こだわり住宅の、愛称とロゴの発表がありました。何故か前段の4年間の、つくりてプロジェクト会議の出席率が良かったせいか、岩波さん(三和総合設計)の推薦があり、委員長という重責をけがしています。そんな訳で、この日の除幕式は、私が代表で序幕をさせていただきました。
 地域材を使った家づくり。木材供給者・設計者・大工工務店が一緒になって家をつくろう。整備指針を巡視して家づくりをしよう。掛け声高らかに、8グループが「ほんまもんの家」づくりを目指して、スタートしました。

第294 2009.10.03
17時間の小旅行
 以前淡海里の家の研修旅行で、白川郷へ行く機会がありました。私は、木の家ネットの徳島総会で欠席でした。世界遺産になった合掌造りの白川郷。世間はシルバーウイークで、高速道路は1回1000円。
 10年前に飛騨高山へ行こうと、ゴールデンウイークに計画し、高速が込むとだめだと言う事で、夜出発したが、とんでもない渋滞に巻き込まれてしまい、痛い目に合った。
 思いつきだったが、22日の夜10時過ぎ「白川郷へ行こうか!」となり、即、行動開始。本来なら、開通したばかりの東海北陸自動車道のコースだが、金沢まわりの北陸自動車道を選択した。I・モードの交通情報を、時折聞きながらの道路選択です。帰りも一般的に選択するコースを、さかさまに走ったので、対向車線は大渋滞(朝の早い時間でも)。込みそうな所は、高速を早い目に降り、国道や下道を走ったため、渋滞には全く巻き込まれませんでした。
 今は、秋の始まりだと思っていたが、白川につき夜が明けると、展望台から見える景色は、朝もやが立ちその中に、ぼんやりと街灯が、合掌づくりの家並みと黄金色に染まるであろう田んぼを、とてもやわらかい表情で、私達を迎えてくれた。外は少し肌を刺すような寒さを感じる。晩秋のようだ。
 そろそろ行動を開始する。展望台の高台を降りると、世界遺産の中を走る道路は停滞だった。時間は朝7時にもならない。「すごい人気だな~。」街並みを歩き、ガイドブックを片手に「ここへ行こう!あっちへ行こう!。」と歩く。山に囲まれ、都会の雑踏やコンクリートの風景からは想像できない、ゆったりとした風景が、何故か心地よかった。ポケットに手を入れるものの、この風景あの風景と、デジカメを押しっぱなしだ。京都の美山もそうだったが、白川郷にもそれをはるかに超える、この地に生きている人たちの、寒い冬に耐え抜くという、知恵がひしひしと感じられ、その事がこの風景となっているんだ。と、改めて感じさせられる。どういうわけなのか、咲きほこるコスモスの背丈がとても高い。
        美濃の街並み
 郡上八幡っていう所に,サンプル工房があるという事で、家内の言う事を聞き、郡上に向かった。
 少し食事をした後で、家内はサンプル工房で、体験教室に。私は興味が無いので、一人街を歩くことにした。
 古い町並みはほとんどなく、一部きれいに観光用にと、整備された路地がありました。本当に見たかったのは、旧街並みだったのですが、残されている街並みは、アルミサッシがはまり、近年にリフォームされた、とても町家の風情のないものでした。
 このまま帰路に就く予定でしたが、途中高速を降り、美濃に行く事にしました。
 以前、木考塾で行った記憶がありますが、どんな街だったのかはっきりしません。「うだつのある町家の街並み」は整然と並び、これも観光用かもしれませんが、きれいな街並みを残し、少し建築が好きな人なら、そのきれいさや手をかけて保存していこうという、住民の意思や誇りが感じられる、とても良い町でした。
 間口の非常に狭い、朽ちかけた建物にも、若い感性あふれる人たちが趣向を凝らし、「この建物を使っていこう」とする愛情が、街並みとそこで生きていこうとする人たちの、なりわいを感じました。

 白川郷にと車を走らせ、おまけに郡上八幡・美濃の街並みというように、それぞれの地方には、風土に合った、似合った暮らし方があり、家の建て方や、街並みの取り方があるんだ。と、思い、今に置き換えると、「なんて、情けない汚い街並みが、そして、すぐそこにあるという現実にむなしさを感じました。」

第293 2009.10.03
根本セミナー61回目
 今回のセミナーは、「家づくりに、こんなものはいらない、家づくりのまちがいを説く。」と、題して、昨日草津キャンパスでパネリストを務められた、熊本の古川さんが講師です。
 古川さんのブログには、たとえば、「品確法は、貧・欠く法とか、オール電化は、ほんまにええんですか?民家は違反建築のお陰で存続してきた。ユニバーサルデザインは、誰も食わないファミレスのハンバーグみたいなもの。等、見た人を極端にひきつけるような、魅力があります。そのことは、一読すれば正論であるから面白い。世の中の仕組みに、たくさんのウソがある。というより、隠れていて見えにくいと言う事が解ります。講座の中でオール電化の話で、チラシを見せたりデーターを読み解いたりし、わかりやすく教えてくれました。
 特に、オール電化の話は電磁波も含め手の話で、九州電力の大ホールにて、会社の研修が終わったばかりという、社員を前に、「オール電化は、あきまへんで!」と、いう話をしたから驚きだ。
 もう一つ印象に残った話があります。建築工事の話です。平均した建築工事費は2500万でスミリンやセキスイは3000万という。メーカーでさえ絞った層を狙っているのに、一般的な工務店は、どんな層にも対応をし、予算は低く仕事は立派にと、変に頑張ってしまう。そんな事を続けていくと、つぶれていくしかならない。そこで、改めなさいという助言は、ランチェスター方式。この層だけは、絶対に負けない!という
価格帯と仕事内容を確立させ、勝負しろ。ここにはメーカーは入ってこれない!という部分を知る事だ。

 私は、特にこの方式を、早くから取り入れた自覚は無いのですが、大工職人だったら、プレカットもやりメーカーの下請け・ドルフトピン工法をやり、米松や集成材を使いといった、何でもござれという、そんな選択肢は無いと思っていました。「俺は、家は、こうつくるのが正解なんだ」と、思っているので選択肢が少ない。でもそれが、知らず知らずやってきた、川村流ランチェスター方式何だな~と感じました。
 他人の話を聞いて「ああ、そうなんだ」とうなずく事が多いので、やっぱり人の話には、教えがあるんだと。弟子たちの参加が、前日の草津キャンパスが、全員参加ためか、越田と剛士・角川さんの参加と少しさみしかった。

 年末年始のどちらかに、「大阪へ行く事があり、泊めてくれないか」。「その代りの宿泊代に、講座をするから」と。とても光栄な話です。自宅で鍋を囲んでというのもいいですね。

第292 2009.09.26
木の家ネット、ウイーク
 9月12日、草津の立命館キャンパスにて、これ木連主催のフォーラム「伝統構法はどこへ向かうのか」
が開催されました。
 これに先立ち、職人がつくる木の家ネットの事務局である、山梨県の持溜ヨハナエリザベートさんが、11日夜から我が家に来られました。息子さんの匠君と二人で。稲枝駅で出迎えると、匠君は剣道の竹刀を肩に背負い、目を輝かせながら、「眠くは無いのか」。よく親に連れられ旅に出ているのか慣れてもんだな~。わが家を建てたとき「石場建ての家」というテーマで、HPにある、「現場リポート」の取材に来てくださいました。4年前のことです。幼かった顔もすっかり少年の顔になり、少したのもしくも感じました。
わが家の玄関で 竹刀で素振り稽古
 午前中は、ヨハナさんと五ヵ荘金堂の街並み拝見という事で、近江商人屋敷を見学をし、時間が迫ってきたので、草津へ向かいました。途中、新潟の、長谷川さん(私たち親子が新潟中越沖地震の視察でお世話になった人)から電話があり、JR近江八幡まで迎えに行き、合流しフォーラムに向かいました。
          会場ステージ
 基調講演では、大阪府登録文化財所有者の会の、畑田さんが「伝統的木造住宅の保存・継承を考える」という、テーマで話されました。この話の中で「家づくりを、国民とともに考える」とありました。現在の家づくりを取り巻く環境は、お金もうけをするだけの手段だけであるという、理念のない中で、家自身が持っている、環境や文化のように、本来持っている資質をずいぶん忘れかけて、家づくりから派生していくとてつもない大切なものが置き去りにされている事が、議論されていないように感じました。
 どちらといえば、地震に強いとか弱いとか、粘り強いとか。そういった話に終始してしまっている事が、切ないです。「家って何ですか?」
 このあと、1部2部とパネルディスカッションが、人を変えありました。いずれにせよ法の番人側と現場に立ち第一線で頑張る人には、考え方が違う。という事が解りました。実験など進展はあるものの、考え方には変化がないのかもしれない。また、私たちの意見を聞こうともしない人(研究機関の中ですが)も、中にはいるらしい。そんなことでは、一向に改善に向かい、進んでいかないことは事実です。
 正直、印象として心に残らなかった。
 最後に、宮内さんの心から腹の底から、国の機関を代表する方に、お願いしたことは、現場に立つ私にとっては、当然発する、心の叫びでした。ちなみに会場で、エールの拍手を送ったのは、私が一番だったことを、このページで明らかにしておきます。
 このあと、キャンパス内で墾親かいがあり、終了後、何人かで二次回に行き、それぞれの本音が聞く事が出来ました。
 今夜は、我が家に、熊本の古川さん・新潟の長谷川さん・京都綾部の金田さんが宿泊されます。
    
左から古川さん長谷川さん金田さん 根本セミナーにて、古川氏
 朝から、三人を私の現場、愛知川中宿の高田邸の土蔵の格子壁による耐震改修の工事中の現場・今年五月竣工の、八日市神田町の村井邸の古民家再生(この現場は、金田さんにいろいろ教わった)の完成した姿を見てもらうため、来てもらいました。(特に金田さんには、見てほしかった)そして、現在進行中の、大蔵邸に向かいました。大蔵邸は、伝統構法というより、伝統構法を駆使した現代構法。滋賀にも頑張っている大工がいるんだ!と、見ていただきたかった。
 車は、午後から開催される、根本セミナーの会場、道の駅「愛東マーガレットステーションに向かいました。今回は参加者50人を目標にしていましたが、当日までに連絡があった方は、スタッフ込みでも30人が切れていました。心配していましたが、当日は47名の参加者があり、やれやれでした。
 私の尊敬する設計者である、古川さんは、HPでも、ズバっと社会を切るような、鋭い切り口で内容が書かれていて、いつも感銘を受けています。そんな話を期待していました。話し方はソフトで、聞きやすく耳にス~と入りこむ感じでした。内容は、何故地域材を使おうとするのか、私たちの取る家づくりの戦略とは、オール電化やIHはいいのかなど。セミナーに参加して!という言葉に答えて参加して下さったお施主さんは、「家づくりの迷いが取れました」と言ってくださいました。
 このあとは、古川さん・長谷川さんを招いての墾親かいを、愛知川の竹平楼で行いました。
 翌日は、長谷川さんを彦根城に案内をしました。玄宮園が工事中だったので残念と思いきや、工事をしている西沢工務店の政男さんに電話をし、見学をお願いし快諾を得ました。「昼御飯を一緒に食べよう」となり、3人で食事をしました。西沢さんも木の家ネットの会員です。

第291 2009.08.29

福井木の家協同組合と交流会
 昨年、福井県のおだ住建さんに依頼されて、講演に行きました。引き続き福井県木の家協同組合さんが、交流をしたいと言う事で事務局の森さんはじめ数人が、ほんの一時間程度の話し合いをしました。こんな縁が出来、今回、この組合の研修旅行の(一泊二日)最終日の29日に、組合同士の交流会を時間をかけて開催しました。
 福井県のみなさんは、私たちの活動の報告に真剣に耳をかし、特に認定や実験などに興味を示されていました。私たちも意見交換の中で、広報活動の中で話されていた、JRの主要な駅なんかで、チラシを配り、木の家のPRをされて、たくさんの住宅相談を受けたことなど、参考にさせていただきました。
 私たちの組合も、五年目に入っていますが、資金不足もあり大胆な広報活動はされいません。法的には逆風、社会的には追い風と受け止めたなら、少しは今やった方が良いと判断するなら、決してひるむことなく実行すべきだと感じました。
 組合員も、しっかりと腰をすえなくてはならない時です。

第290 2009.08.28

びわ湖バレイ
 お盆休みに入り8月15日、妻とびわ湖バレイに行きました。
 この休みは特別な予定もなく、ゆっくりしようと思っていました。でも、どこにも行かないのもさみしいぞ、と思いきや、「びわ湖バレイにいかへん?」ケーブルの無料券もあるし!「じゃ!そうしよう。」となりました。湖西もきれいな棚田や、安曇川流域比良山系とあります。おいしいサバ寿司もあります。
 24歳ころ、妻と蓬莱山を登った事もあります。尾根の縦走もしました。「あの頃は若かった」「今も若いんだぞ」と言い聞かせながら、でも、足腰は全く違う。息切れもする。「ああ~、若いと言う事は素晴らしい。」山頂も大入り。一時の涼を求めての事でしょう。
 山には、百合の花が咲いていて、訪れる人の目を楽しませてくれました。山にも演出があるのですね。

第289 2009.08.13
コトナリエ2009
 今年もコトナリエが始まりました。開催は8日から15日、夕方6時40分ぐらいに点灯し、9時頃消灯です。私たちのサークル、ガッツ!!友・悠・遊も、クレープ屋さんで、何日か参加します。
 一見は感動に値します。この企画と実行力に完敗です。みなさん、是非来てください。

第288 2009.08.10
ネットワークグループ代表者会議
 4月から始まった、「滋賀らしい環境こだわり住宅、つくり手ネットワークグループ代表者会議」。月一回の会議を重ね、目標に向かい達成するための手段、特に広報活動について、HP作成や、あまりにも長い名前に、愛称をつけ、ロゴをつけ、県民に親しまれるようにと、現在前向きに進んでいます。
 現在の取り組みをお知らせしたり、各グループの現在の活動、特にこだわり住宅として、各グループが進めている事例について、相互発表をし、意識を高めようと、8月6日住宅センターで、会議がありました。今、加入しているグループは、8グループ48業者。この日は、代表者でなく構成員全員による、意思の疎通と勉強が目的です。

 今回は、愛称とロゴの募集です。

第287 2009.08.09

法隆寺
回廊のさす組 連子窓 虹梁の鼻
 JRで、京都まで行き、奈良線で奈良駅まで行きました。
 朝思い立って、「一度、奈良法隆寺へ行こうか!」となりました。「車もいいが、のんびり電車でもいいな~」ということで。
 東大寺大仏殿は、何年か前に行き、柱が最古の集成材!に驚きました。金物でずいぶん補強された外観が痛々しくも感じました。
 法隆寺は、自分にはあまり記憶がなく、はじめてかな~?でも、夢殿や玉虫厨子は覚えている。この記憶は中学の旅行と、20歳ぐらいの時に行ったことしかないので、定かではない。
 1300年の歴史を営々と刻んでいるのですが、当時にそれだけの大工の技術が大成していたという事に、大きな感動があります。社寺の建築は、権力を思うのままにする、貴族・皇族・僧の一大国家プロジェクトです。現在でいう公共事業。その中には、匠たちの懸命なる、「より、強いもの・綺麗なもの・長持ち出来るもの」への、工夫・試行錯誤が繰り返し行われていたのには間違いがない。
 上3枚の写真は、丈夫に固めていく工法が見て取れる部分です。講堂や塔も、伽藍配置の中で大きな存在感があり、魅了されますが、全体をみる中で、写真のような部分は見過ごされがちです。でも、古建築の基本は、こういった部分に見られます。
 2段以上で構える・連続・置き組・固める・囲む・軸で持たせる・太いなど。どれをとっても、現在の建築からは、嫌がれている感じです。大切なことなのに!

第286 2009.07.29
大蔵邸上棟
     
            
 7月13日14日に渡り、大蔵さんの主屋の組み立てをしました。「もう少しで梅雨明けかな?」と思われる怪しい季節の中で、合間を縫ったかのようなに、雨を避けられ、無事上棟が出来ました。
 この建物の特徴は、一部下屋がありますが、二階の桁から、持ち上がった屋根勾配が、梁間が大きいため、一見すると三階建てのようです。大きなロフロがあるのです。一階と二階の間には、張間方向に、太くて長い、大きな杉の八角丸太がデンと横たわり、重量感をかもし出しています。存在感と安定感があります。横架材(梁)は折置き組を基本にした組み方で、数本通り柱が使ってあります。梁と通り柱は、同じレベルでは組んでいません。でも、容積が大きいため、外周の壁には土壁での耐力が不足するため(計算上)筋かいが入っています。いわば、伝統構法を織り込んだ、現代構法と言えます。
 二世帯住宅なので、一,二階にそれぞれキッチン・お風呂・トイレなどが完備された、広々とした空間です。大蔵さんは、もともと永源寺の君が畑という集落出身で、木の良さが特に解り、木が好きな方です。
 一階の八角丸太は、2007年11月に、永源寺杉ファンクラブの主催する、伐採ツアーで伐採された、樹齢80年の大木です。後から解った事ですが、(この木を植えられたのは、大蔵さんの先祖であるということ。)この木を工場に運び込み、乾燥をさせていた中、大蔵さんの話があり「是非、この現場で使い一本でも、永源寺の方にかえさなくては!」と思っていたところでした。とても良い話だと思います。
 
 26日は、軸組み構造見学会を開催しました。天候も優れなく、ときたま、バケツをひっくり返したような雨が降り、見学に来ていただいた方、本当にありがとうございました。
 PM3時には、鈴木有先生も来られ、私たち大工と設計した角川さんに、しっかり辛口のレクチャーをしてくださいました。勉強になりました。工事が進むにつれ、皆さん「どうなっているのだろう」と、見に来てください。

第285 2009.07.26

格子壁の実験
直交格子 斜交格子
 3月 KIKITOの地域材の性能評価の実験後、滋賀県立大学の高田教授と縁が出来、淡海里の家事業協同組合で写真のような、格子の試験体を製作させていただくようになりました。写真左は直交格子、右は斜交格子(密)と、写真はありませんが(粗)の3種類3体づつ9体です。
 組合の仲間たちの応援と、高田先生と生徒さんと、今回の実験場であるポリテクの大沢先生が、見守る中、静的加力試験が行われました。
 斜交格子は、非常に硬く、軸組みを傷めると言う事が顕著に現れてきました。直交格子は斜交格子より、耐力は無いものの、傾向としては、同じような粘り方をしました。伝統構法のは、直行格子の方が、弱い耐力で粘るほうが適しているということも解りました。格子壁を製作するのも、直行格子の方が簡単に制作できるという事もあるので、地域材の活用や、森の木の間伐材利用には有効な、耐震補強であるという結果が得られました。

第284 2009.07.26
13男登場
 7月1日から、13人目の息子、越田直紀君が、大工の見習いとして、弟子入りに来ました。
 HP検索で、どうも川村工務店がひかかったらしい。
 兵庫県の六甲の近くの住まいから一転、一人暮らしの大工見習いです。私のところに来るまでには、有馬で、炭酸煎餅を焼いていた事が二年、その後大工見習いが二年、というキャリアの持ち主。
 
 先だって、鈴木先生から「川村さん、これから、もう10人弟子を育てたら!」と、言われたばかりです。「もう限界ですよ!」でも、熱い情熱を持ち気持ちのある子を、このまま見捨ててしまうには、あまりにも気の毒です。「まあ、いいか!」
 まだ1か月は経ちませんが、日に日に慣れてきているのは間違いのない事です。たくさんの弟子兄弟たちの中で、切磋琢磨し、先輩に追いつけ追い越せだ。

第283 2009.07.20

村井邸の宴
 6月27日、1年がかりで完成した、古民家再生工事、村井邸の完成のお祝がありました。
 招かれた人は、設計事務所の篠さん、各業者さんと川村工務店の皆で、夕方から長い時間、にぎやかにありました。業者さんや弟子を含めお招きにあずかった事は初めての事です。いつものパターンだったら、親戚の中に大工棟梁のみ、といった事が圧倒的に多いにもかかわらず、村井さんは、お世話になった方みんなを招待されました。それだけ、完成が嬉しかったに違いありません。
 昨年7月に入り、内こぼちから足固め、建て起こしという風に工事が進み、9月からは茅葺をめくり屋根工事(約50日)と大変な時間がかかりました。屋根の板金工事が終わったには年末。この間縁側の増築があり、年明けからお風呂の工事や内装の工事と言う風に、順次進みました。どの部分も、簡単な施工ではなく、時間のかかる値打ちのある工事でした。
 この工事の一つ一つを、村井さんは冷静に見つめ、やってほしいこと、そして経費の事を自分なりに判断をし、完成を見ました。100周年の記念誌にも紹介をさせて頂きましたが、古民家の再生工事という、選択が、お施主さんにはあり、これにこたえるべき工務店・大工の立場もあるんだという、現実が解るのと同時に、磨くべく技術もあるんだと言う事が、はっきり見えてきました。

第282 2009.06.01

創業100周年
 みなさん、お久しぶりです。少しHPの更新から遠ざかっていました。
 
 正月に、今年は大工業100年なので、周年の記念イベントをやりたい、「実行しよう!」と決めていました。2代目も肺気腫を患っていて、一日中寝ている日もあり、元気なうちにやらなくては意味がない。普段は口うるさいオヤジでも、大切なオヤジです。

 3月の半ば、会場を予約に行きました。立派な会場を設定するのも良しですが、地元には(自宅から2分)クレフィール湖東があります。これも、地産地消。ホテルは高台にあり、中でもレストランは、湖東平野を見渡せ、その中には我が家までも風景の中に納まり、遠く比良の山並みとその下には、青くまっすぐなびわ湖の湖面が鮮やかに望むことが出来ます。
 そのレストランの貸切が、予約で埋まっていて、予約可能な日が6月21日でした。よく考えると『父の日』。日程と会場は、ばっちり!決定でした。

 当日は70人を予定し、みなさんには読み物として、工務店の100年の履歴と実績の情報収集に5月から準備を進めていました。突然、主賓をお願いしていた鈴木先生(金沢工業大学名誉教授)から電話がありました。5月21日の事です。「昨日、我が家の掘りこたつのあたりから、羽蟻が出たので、一度見に来てほしい」とのこと。つづいて「中越沖地震被害報告書が未完なので、完成しませんか?同時に記念誌を作りませんか」と言う、お話をいただきました。自分が想像している、読み物と合わせて記念誌なんて、絶好のチャンスと思いました。
 後日、先生宅をお邪魔して、床下の点検と記念誌の打ち合わせを行いました。
 翌日、メールを開くと先生から早速、記念誌の編集案が届いていました。「早いな~」が印象です。先生の方がやる気満々!押してくれる人がいて、やってみようというファイトがわいてきました。「何とか完成させよう」と、いう。
 設計を担当してくれている、角川さんも大いに手伝っていて抱き、パソコン相手に大奮闘が始まりました。先生も3日間、我が家に缶詰で徹夜の連続。こうやって、多くの人の力をお借りして、思いもよらぬ立派な記念誌が完成しました。
 午前11時20分、お客さんの着席とともに、フルート演奏の導入が始まりました。演奏はかつてのお施主様でもあり、家内の友人でもある磯部裕子さんと徳田さんのピアノ。司会者は、長谷川林材の角さん。
迎えるのは、写真左上の私と家内、晃久と剛士、新調したはっぴ姿。職人の正服だ。
 演奏を聴きながら、私は、少し緊張気味でした。気持ちを静めるには、とても良い時間でした。初めは私のあいさつで始まり、続いて鈴木先生、東海書道芸術院会長の豆子さんのごあいさつをいただきました。その後、いつもお世話になっている、西堀さんによる、乾杯のご発声。そして歓談へと入りました。
3代目と4代目 鈴木先生 元湖東町町長、西堀さん
住宅センター、山中さん 兄弟子、大倉棟梁 書道の大家、豆子さん夫妻
 歓談中は、弟子による寸劇。どうやら、私をまねての弟子たちとのやり取り。
 業者さんによる、大喜利。川辰さんが円楽役。座布団敷きは森建さんの息子玄徒さん。小林左官さん神保左官さん、設備屋さんらがそれぞれ、役者を務めおめでたい時間になりました。
 また、業者さんの回渕さんが企画してくれた、弟子対業者の丸太切り競争、弟子たちのパフォーマンスが面白かった。昔のでっかいのこぎりを持ってきた「親方、これで切ってください」「こんなもんで切れるか」なんちゃって!面白かった。
 途中、兄弟子の大倉棟梁、河島明美さん、三和総合設計の岩波さんのごあいさつ。
 最後は、川村工務店のみんなによる、伊勢参り節(いせま)。手拍子と数日間練習してきた声での、大発声。中田さんも加わりチームワークを感じた。歌が終わると同時に、親友の宮内寿和棟梁の、予定外の万歳三唱。
 約3時間の祝賀パーティーがとどこうりなく、お開きになりました。
弟子たちの寸劇 フリート演奏 業者さんたちの大喜利
寄せ書き 親父とおふくろ 丸太切り
 みなさんに、たくさんの時間を割いていただき、本当の意味での手作りの、祝賀パーティーになりました。テーブルの名前は、桧杉松、楢橅樺、欅槇椹とすべて木の名前。テーブルフラワーは、家内の友人の清水先生。時間の取り方も業者さんたちの思うような時間運び。受付のテーブルも弟子たちの、100周年のお祝い。材料は宮内棟梁のお祝いの、杉の一枚板。寄せ書きの板も角さんからの、桧の一枚板。丸太切りの材料は、ちょうなはつりの、桧材。大喜利のはっぴは川村工務店のイベント用のもの。
 中でも大きな成果は、弟子たちが今まで以上に、自分らしさを出し、より仲良くなったこと。業者さんも横のつながりが深くなり、記念誌編集作業中は、私も角川さんも現場に関われなくて、状況を呑み込んでくれたみんなが、適切に対応して下さったこと。みんな今まで以上に、仲良くなった。
 広島から、一番弟子の野口君が、12年ぶりに帰ってきてくれたこと。2番弟子の辻本君も来てくれたこと。みんなの顔がそこにあった事が、なにより嬉しかった。
 記念誌は、とても評判が良かった。
みなさん、ありがとうございました

第281 2009.05.18
政所の杉
 5月16日、永源寺杉ファンクラブのイべントがありました。
 今回は、政所の太い杉を見に行く事と、新茶を摘んで手加工をしいっぷく頂こうという、スローな企画です。
 政所小学校に集合したころは少し雨が降ってきました。山ヒルが出るということで、メンバーの砂田さんが、ヒルよけのスプレーを足元にかけてくれました。準備万端、いざ目指すは大木政所杉。途中砂田さんや大蔵さんの、自然観察の解説を聞きながら進みました。途中にゆずりはの木がたくさん生えていました。大蔵さんが教えてくれたことに、この木は親の葉っぱの中から、子の葉っぱが出て、普通の木なら親葉を落としてから(落葉樹)か、落としながら、次の子の葉っぱが出るが、ゆずりははこの成長を見てから、親の葉が落葉する。代々続くというとても縁起の良い木だと教えてくれました。(ひとつかしこくなったな~)
 歩きだして30分、大きな杉の木に出会った。「この木や」!杉の木の皮肌も素直でねじれのないきれいな肌をしていました。思わずそばまで行き、抱きついてしまう。人間ってなぜ太い木に抱きつきたくなるのでしょう。砂田さんと胸高で太さを計ってみると、4,6Mでした。高さも三角関数で図れるような手道具で図ってみました。すると50Mの高さを計算できました。何年生だろう?
 大蔵さんが、「君が畑にはもっと太い杉があるで」という話で、みんなでさらに奥へ(7分)車を走らせました。意外と山道はきれいにアスファルト舗装され走りやすかったです。1200年間に開かれた、この集落は、木地師の里で有名です。案内されたのは君が畑の神社。そこには、ほんまに太い杉の木が連立していました。中でも太かったのは、太鼓橋を渡ったところにある杉の木で、胸高5,7Mありました。神社なのでこのように残ったのでしょう。何年生きているのでしょう?
 木の寿命に比べれば、人間の一生なんて短いものですね。こんな木を眺めていると、なぜか幸せな気持ちになります。
 杉ファンクラブの拠点の箕川の、炭焼き小屋まで行き、昼飯の塩むすびをほおばり、気持ちも腹もいっぱいの一日でした。

第280 2009.05.18
母の日2009
 5月第2日曜日は母の日です。
 80才を超え足を痛そうに、老人車を押しながら、畑に通う数も年々少なくなる。鍬をもって畑と格闘する時間も、とぎれとぎれで、休憩ばかりになってきた。頭の中は、「これをして、あ~して、こ~して」と気が走っているに違いない。「もう、畑のこともしなくちゃ!」といつも思うのだが、ついつい、自分のやりたいことに走ってしまい、どうにもならない。時間の使い方が下手なのだろう。
 我が家が完成した時、見学会で鈴木有先生が、「住の次は農をやったら?」と言う言葉が、いつも頭の中にありました。そのタイミングはいつなのだろうか?と思っていました。でも、その言葉の重さが、少し実践をしていかなくては!と言う、時期にかたのかな~。母が畑に足を運べなくなってからでは、遅すぎるし。
 朝、「畑家の苗を買いにいこか~」と電話をすると、こんなこと初めてのことで、驚いたのと嬉しかったのか、迎えに行く予定が、老人車を押して我が家まで出かけてきた。
 ナスにきゅうり・トマトに唐辛子・ピーマン・モロヘイヤ・トウモロコシなど、夏野菜の苗をたくさん仕入れてきました。畑に苗を植える間隔や深さ植え方など、意外とルールがあるらしく、母の言うように植えました。写真のように藁をひいたり、手を準備したりと二時間たらづの作業でありましたが、土をさわる仕事も結構楽しみながら出来るもんだな~と感じました。
 夏の収穫が楽しみです。

第279 2009.05.10

野村邸の上棟
 4月22日、旧湖東町の大沢の野村さんの棟上げをしました。
 母屋は入母屋造りの立派な家が建っています。母屋と並びに漆喰塗腰張りは船板の貼った、置き屋根の土蔵が、風格高く建っています。それと直角に、離れが庭園を巻き込むかのように立っています。田舎の典型的な(伽藍)配置になっています。その離れを取り壊しての増築工事になりました。
 瑕疵担保保障制度が10月から施行開始とあり、えらく慎重な設計になり時間もかかりました。
 今まで平屋建て4棟の経験がある、息子の晃久が棟梁になり一切を仕切ることになりました。二階建は初めてです。私も自分の時以上に心配と緊張がありましたが、順調に組みあがりました。一安心です。
 27日は、県立大の野間先生に依頼され、総勢18名のミニ見学会になりました。今回の学習会兼見学会は、自然素材である竹についての性能や、家づくりでの竹小舞の仕組みについての学習。土壁塗りの
施工方法や「なぜ、土を塗るのですか?」みたいな話。
 私が、口頭で説明をしているのですが、初めて目にする竹小舞や土壁付け。お施主さんの野村源四朗さん(県立大とは、講師として関わりの深い人)が、学習会の雰囲気を「これでは、わからんやろ!」と、感じたらしくって、「竹を編んでもろて、経験してもろたらいいがな。」私の弟子に「土壁を塗ったらどうや、わかりやすいがな。」の提案。早速足場に上がっての、体験学習。(写真)
 弟子に棟梁を任せたことや、学生の体験など、人がつながっていく現場になりそうです。

第278 2009.05.04
今在家のシンボルオブジェ
メンテ中 今在家のシンボルオブジェ
 私の住む自治会には18年程以前から、町つくりサークル「ガッツ!!友悠遊」と言う有志の集まりがあります。設立当時は、地域の文化祭をはじめ、ミニコミ誌「u報」の発行(後に県知事最優秀賞受賞」、花壇の整理など、活発な活動がありました。15年ほど前に写真のような、組木パズルから発想したオブジェが、村の入口3か所にデンと立っている。
 カラマツ材、6寸角。高さは地面より5m、左右1,5mと金物を使ってなく、匠の技術をもって健全に立っている。15年もたつとずいぶん痛んできた。4月19日は、参加できそうなものが集まって、木部に防腐剤を塗った。それと、「匠の里今在家」と書かれた看板も、洗いと文字の彩色をし、木のてっぺんには、銅板で、帽子をかぶせひと通りの作業を終えました。
 右が、メンテナンス後の、今在家のオブジェです。

第277 2009.04.20
薄墨桜
 桜の季節になると、例年毎日のように、新聞の紙面のトップに、「あそこの桜!が見ごろ!」という具合に、大きな写真とコメントが掲載される。滋賀では、海図大崎・彦根城と言った具合に。同じように、岐阜県の根尾村の薄墨桜も紙面をにぎわせていた。
 一度は見に行かなくては!と思い、朝思い立って急きょ花見となりました。岐阜は大きな県です。南は養老・関ヶ原、北は飛騨まで。根尾村ってどこ?ネットで探し、地図を見てみると意外と近い。とりあえず、新米ナビで、車に入力。道程は2時間半程度だ。
 道すがら野や山には、ここもあそこもと言った具合に、薄いピンクのコンモリが目に入る。とても珍しい景色とは言えない。でも「一年で一番いい季節。」大垣ICを降り、国道を走る。ナビって便利なもんだ。
 この薄墨桜は彼岸で、桜樹齢1500年、樹高17,2M枝張りが東西・南北20数M、幹周り19,2Mあるという立派な桜です。呼び名通り少し曇ったようなピンク色です。太い幹には痛々しいような、樹医?さんの手当てもうかがえました。地元の人たちの懸命な、桜に対する大切にしようと思う思いが伝わってきました。人間は100年も生きることはできません。「この大木は、宇宙的長い時間の中で何を見てきたのかな?」と、想像すると、ここ数年で環境を悪化させている人間のお粗末さが、何とも情けないですね。
 高速道路の料金を安くしてあげたんだ!と喜んでいるのは、麻生さんだけかも!
第276 2009.03.31
 今日ちょっといい話がありました。本多邸での職人さんとの会話です。
 私が、外で内法材の胴付きを付けるため、七寸のこで切っていたところに、左官さんの小林さんが、外壁の漆喰をぬっていて材料が不足したため、足場から降りてきたときの話です。

 小林 「親方の手もごつごつしてるな~」
 川村 「あんまり見るなよ!かっこわるいがな~」「きたない手やがな」
 小林 「職人の手やな!」
 川村 「今頃何いうてんネ!おまいかて同じやろが」
 と言いながら、お互いに手を見ている。その間が変な時間fだ。
 私の手は、左手の親指にあかぎれで、傷テープが2枚貼ってあった。塗料も付いていて、見るからに感じのいい手とは言えない。
 川村 「左官さんも、仕事柄、手が荒れてしょうがないやろが!」
私の手を再度見ながら、
 小林 「ごつくるしいし、節々も太いし、しわくちゃやな~」
 川村 「ほっといてくれ!人にもみせへんがな!見せられへんがな」
     「女の子と手つないで、デート出来ひんがな」
     「酒つぐ時かなんがな。」
 小林 「親方、なにゆうてんの!人に見せる時は親方のような手を見せるのやで
     「値打ちがあるがな」
     「前な、高利貸しは金貸す時、人の手見て、こいつは働きもんやで、金貸しても良い!とか、判断しよったんやで。」
 
 何年か前、国会議員に握手を求められて手を合わせたことがある。
 何この手、プヨプヨやん。こんにゃくの方が固いがな!そんな感想があった。
 
 今日は、左官さんとの会話から、自分の手に、もうちょっと自信を持とうと思った。
 

第276 2009.03.22
定額給付金
 いよいよ定額給付金制度がスタートした。一人12000円。おじいさんおばあさんは、20000円。わが家は8人家族計112000也。ありがたい話には違いない。国が景気対策でばらまく税金だ。どれだけの景気対策になるのでしょうか。普通の家庭なら普通に家計にしか回らないでしょう。特に何かを買うとかは無いと思います。先日のテレビでは、海外旅行の12000円パックがあるとか。海外じゃ意味ないだろう。
 国民に税金をばらまき、景気が良くなったから消費税アップ!なんてシナリオが見えている。
 高速道路が休日・ETC限定で利用料1000円乗り放題。「国民のみなさん、CO2バンバン出してください、ガソリンはどんどん消費してください!」って言ってる。「温暖化や京都議定書なんてどうでもいいんですよ!」って言ってる。国民が高速道路を安く使った分は、税金でカバー。高速道路を利用しない人はたまったものやない。
 必要なところに、きちっと税金が入らないこの制度。
 景気が悪くなればなるほど、税金のバラマキ。農業林業もしかりだ。この後の税金回収がどのようになってくるのか?「鼻くそで鯛を釣る」は「定額給付金や高速道路1000円で消費税UPを釣る」。このあと国民は真綿で首を絞められる。
 

第275 2009.03.22
若狭の木で家を作る
 今話題のアメリカ大統領のオバマ。そんな名前で盛り上がっている、福井県の小浜市から、「若狭の木で家をつくる」と言う、家づくりのメンバー7人との、意見交換会がありました。
 昨年、福井木の家協同組合へ講演に行き、(と言っても、現在家づくりで活動していることや、自邸の話をしに行っただけ)同じく、その組合にも加入している、杉谷さんから3月に、是非と言うことで、交流会を持ちました。私ん組合は、副理事長の角さん・事務局の森さん川副さん・設計の池田さんが、参加して下さいました。若狭木の家からは、設計・木材工務店・行政の方7人の参加です。
 現在は景気の悪い中、ましてや木造住宅を建てていくという環境の中では、冷風が吹き荒れ、どこもがどうしたたら、木の家が建ててもらえるのか手探り状態です。私たちは設立4年ですが、若狭木の家は昨年設立。設立したもののどんな事から、手をつけていったらよいのか解らず手探り。
 意見交換で、最初に質問されたことが「どうやったら、受注できますか?」だった。「いきなりですね」
 意見交換のタイムスケジュールが、一時間余り。どうも観光のついでの研修のように見えてきた。
 「家を建てるという行為の中には、たくさんの社会の課題を解決できる要素があります。それを世間に発信していくことが、メーカーなんかにはマネのできない、とても大切なこと。」
 「抗生物質のようには、我々の発信していこうとすることは効いてこない。漢方だ。我慢できる時間がありますか。」
 
 私達が時間をかけ発信しても、世間から受け入れてもらえる頃には、地場の工務店は体力不足。なんてことにならないように。みのもんたの「行こうよ!」に負けるな!!!
 

第274 2009.03.07
地域材の性能評価
湖東地域材循環システム協議会=KIKITOと委託契約をした、地域材の性能評価のメインである、強度試験が始まりました。永源寺・多賀の杉・桧材の高齢木(80年生)と若齢木(50年生)。合計71本。
 2月28日、3月1日の二日間、滋賀県立大学にて、大学の高橋先生指導の元、数名の学生さんと淡海里の家事業協同組合のメンバー、計15人程が実験の、前段での検査など精力的に行った。
 「どんなことをするの?」
 すべての材料の重さを秤に乗せて重量測定。含水率の測定、材料の断面積や体積の測定。今回初めての試みで、長谷川林材の角さんの指導で、JASによる目視での品質評価。これは難しくて、角さんも解説書片手での指導。1級~3級までと、それ以下の等級外。丸みがあるのか、どの程度のものなのか。その丸みは構造上支障があるのかないのか。節の大きさや節同士の連続性、材料の短辺方向での節の占める割合はどの程度なのか。梁材においては、成の上4分の1・下4分の1にどの程度の割合で節があるのか。但し、死節・抜け節はいとわない。このことを踏まえての目視では、ほとんどが3級の等級になってくる。
 また小口に見える年輪の数、(中心から半径2,5センチ)の中にどれだけの年輪があるのかなど。その多くのデーターを材自身に明記しました。
 一番メインになる、ハンマーでのヤング係数を求める試験。と、一定の荷重をかけてたわみを求めてのヤングを知る機械的な試験。たわみ試験。ハンマー式でもそこそこの係数が読み取れることがわかりました。やはり桧はヤング120とか。杉は70以上あるとか。高齢木であって、大きな断面でも杉材はヤングが50程度と低いことが解りました。
 こういった一連の実験で、目視によってもある程度、強い木弱い木などが解るようになってきました。大切なことは、木取り出来る敵寸の原木から、製材をすることによって、強度の出る材料を得るということが
大事だということです。

第273 2009.03.01
根本セミナー56回
以前から「一度、コンクリートに関してちゃんと教えてもらわないとあかんね!」と言う、話がありました。
 今回、森建さんの紹介で、生コンクリート工業組合の、技術調査役北川さんをお招きし、根本セミナーを開催しました。
 コンクリートの寿命は一般的には5、60年と言います。長期優良住宅に家の寿命を100年とか言いながら、基礎であるコンクリートの耐久性が、期待出来ないようでは、お粗末な話。ハウスメーカーは、最近は、100年もつ基礎を作っているようなPRだが、家の寿命が26年程度。これまた変な話だ。家の耐久年数より、少し長い目の基礎の耐久年数。これがベストだと思います。
 コンクリート打設時、現場での加水の禁止。水セメント比と強度の関係。鉄筋のかぶりの低下による酸性化を防ぐための工夫。急激な乾燥の防止。しっかりと養生期間をとること。養生期間で初期強度が決まってしまうということ。コンクリート打ち込み時の、振動バイブレーターのかけ方の注意点。など、たくさん教わりました。
 今回のセミナーは22人と若干少なめでしたが、コンクリート工事にかかわっている人たちはたくさんいます。このような学習を一人でもたくさんの方が参加し、学習実践されることがねらいですが、どのように広げて行ったらいいのか、、、?
 毎回、主催をし参加をし、いろんなことを、いろんな方に教えて頂いています。とても視野が広がってきます。私にはとても素晴らしいライフワークです。一般建築主の立場の谷さんや大蔵さんたちも、意欲的に参加をしてくださいます。「セミナーのファン。風土木の家のファン!」と言ってもいいくらいの参加率です。こういった人たちに、大いに盛り上げていただきたいと思っています。

第272 2009.02.25
こだわり住宅 いよいよスタート
 草津の住宅センターで、滋賀らしい環境こだわり住宅のグループ登録制度の説明会がありました。
 私は、4年前からこのセンターで、湖国まちづくり推進協議会、滋賀らしい環境こだわり住宅、つくり手プロジェクトの一員として、月に一回の会議に参加していました。淡海里の家事業協同組合の役員として指名され、長谷川林材の角さんらと一緒に会議に臨んでいました。
 この間、滋賀らしい住宅って、、、?どのような家?を、ひとつの仕様書にまとめ、県下で活躍している、思いを同じくするグループの検証や、そのグループたちとの交流・意見交換など。幅広く見聞を広めてきました。
 4年間の草津通いは、夕方6時開始ということで辛かった。しかし、今回のグループ登録にこぎつけ、いよいよスタートとなったことに、関わりを持たせていただいたことに、深く感謝したい。この会議のリーダでもある、大津市の三和総合設計、岩波さんには、特に敬意を表したい。
 このこだわり住宅は、県産や地域材を使った家づくりを推進していこうとするものであり、大工の伝統的な技術に基づいた手仕事を推進するものではありません。でも、地産地消を考える上では、技術の伝承は外せないものだと、身勝手ではあるが、私自身は確信をしています。
 これからが、各グループが力を出し合って、本気で推進、実行していかなくてはなりません。みなさんもぜひ応援をしてください。
 

第271 2009.02.24
ちょっとまとめて、2月後半
 2月14日、バレンタインデー。今年は逆チョコがあるらしい。バレンタインのお返しも、したことが無いので、今年は思い切って逆チョコふるまい。そんなことはどうでもいいのですが!
 この日は、現在工事中の、古民家再生の現場、神田の郷。村井さんのお宅にて、kikitoの「地域材を活用した新築もしくは耐震改修の、環境負荷概算と事業計画策定」ワーキンググループのメンバーによる、現場事例での研修がありました。多賀A-SAITOの平井さん(リーダー)・伴さん・マルトの澤田さんたちです。この現場は、床板は外材ですが、その他の構造材仕上げ材は、国産材のみでできています。足固めなど、主要構造体は、長谷川林材さんに準備していただいた、永源寺などの杉材がほとんどです。
 特に工事が大変だった、屋根に関しては、専門家でしか分からない、苦労の部分がちゃんと見て取れて解っていただいて、光栄でした。実際古民家に対して、耐震補強は難しいものがあります。

 7日夕方、播磨社寺での損傷観察中、背中がゾクッとしたような感じ。しばらくして寒気がしてきました。時間とともに、なんだか具合が悪くなってきました。「風邪?。」この日から、体調が悪くせきと悪寒にいじめられました。22日までの長い期間、風邪と腰痛とで体がガタガタ、だ。

 17日は、稲枝の高橋さんの完了検査。ケインズの平塚さんとともに立ち会ってもらい、ことなしで終了。完成の写真も撮れないまま、荷物が所狭しとぎっしり。「なんで、こんなに荷物があるの!」

 21日は、家内と近所のみっちゃんと三人で、日野にあるわたむきホールにて、加藤登紀子のコンサート。オープニングは宮崎アニメの「紅の豚」。「この世に生まれてきたら」「お前の人生」と続く。1971年レコード大賞歌唱章の「知床旅情」と10曲。
 後半は、ラブソング。ビートルズのジョンレノン「イマジン」「ラブ」。「難破船」「愛の賛歌」「100万本のバラ」と、名曲が続きました。古い歌なのに。65才の歌手が熱唱。アーティストとして、ボイストレーニングはやっているとは思いますが、実に心地よく耳に入ってくる。過去にコンサートと言えば、高校生時代数回行っただけなので、思い出も少ない。50歳を超え、青春時代の歌手に出会い、歌を耳にすることは、当時に引き戻されて懐かしい。
 

第270 2009.02.21

ちょっとまとめて、2月前半
 1月31日、根本セミナー55回が開催されました。会場は、彦根市の長谷川林材、角さんの工場でありました。今回は、地域材循環システム協議会(kikito)で取組中の、「地域材の性能評価と規格化」での、製材から見えてくるもの。長谷川林材さんの、岸本さんをはじめ従業員さんによる、製材の方法と製材による目利きみたいな、職人さんの感や、木の小口から見えてくる気取りのテクニックみたいなものを、教わりました。とは言っても、私が製材をするのでは無いので、、、。この日は20人ほどが集まり、セミナーを受けました。その後、時間遅れの風土木の家の新年会をしました。

 4日は、風土木の家で今回取り組もうとしている、超長期優良住宅の説明会(シンポジューム)が大阪のクレオ大阪で開催され、笠原さん川島さん池田さんと4人で参加しました。公募事業で、もし、組合で「こんな家づくりをします。」という提案が採択されたなら、その内容を実行することで、1物件(1件)につき、200万円が助成される、国交省の事業です。昨年来、2回の公募があり今回は3回目の公募です。
 この説明会には、慶応義塾大学特別研究教授の坂本先生も、「耐久性・耐震性の分野」で説明がありました。
 元、福田首相の200年住宅に端を発したことで、住宅の耐用年数が問題になってきました。「創っては壊す」家づくりから、「長く愛着の持てる」家づくりへと、変えて行こうとするものです。「いかに現在の家づくりが、社会にとってまずいものか!」
 この事業で採択されるには、住宅での維持管理・流通・省エネ・耐震・耐久・町並み・地域材・生産工法など、先導的に、社会で広がりを見せるものでなくてはなりません。とても大きなハードルのように感じますが、私たちんの現在取り組んでいる、風土木の家は先進的であり、応募のプレゼンテーション次第では、採択の可能性は高いように思います。みなさん期待してください。

 7,8日は、昨年E-ディフェンスで行われた、実大振動実験のA,B棟の解体されたそのものの、仕口などの損傷の観察が、兵庫県の加西市大工町の播磨社寺にて行われました。参加者は、木の家ネットの人がたくさん参加されました。
 それぞれ柱頭、柱脚の観察や、構面ごとに木組みを復元し、壊れ方や力がどこに集中して、破壊が起きるのか、材料の年輪をはじめとする品質の観察など、よく解りました。生きた教材だと感じました。残念なのは、私の弟子たちにも参加させたらよかったな~。と思いました。翌日は、Eーディフェンス間で戻り、みんなで意見交換を行いました。武蔵工業大学の大橋先生の話の中にも、少しずつ本音が見えてきたのと、「何とかみんなの力を合わせて、伝統構法を繋いで行こう。」みたいな前向きなところが、感じ取れました。

第269 2009.01.28
ミツ精機に学ぶ
 25・26日東近江市湖東商工会の研修旅行があり、初めての参加をさせていただきました。
 大まかな日程は、淡路島のうず潮クルーズと大塚美術館・ミツ精機株式会社の研修・北淡町の震災記念館。中でもミツ精機の会社の沿革や、会社内での理念心構えはとても参考になりました。

 この会社は、ニット編み機や航空宇宙機器の部品や組み立てを行っています。
 本来、淡路島は大阪へ行くにもフェリーなど乗継ぎ3時間半ほど時間がかかっていたそうです。いろんな機会の部品加工を仕事とするとき、量産できる自動車用の部品、家電製品の部品加工などは、本州にある地元の家内工業や中小企業が、あっさりと持っていくため、数量限定の数のまとまらない、また加工の手間のかかる、誰もが喜ばない仕事しか回ってこなかったといいます。当時の会社企業家は、飯を食うためとても苦労をしたそうです。この苦労のおかげで、現在の会社の成功をを支える、ジェット機のエンジンを加工組み立てるという、高度な技術が培われたのだといいます。自然体としてそのようになってしまったとか。
 この話を聞きながら、家づくりに置き換えてしまいました。量産住宅は、家電製品の部品をつくるようなもの。墨をつけ木を読み手加工をしていく事は、いいものを作ろうと思う精神そのもの。
 一つの部品の数は、多くて50個。一般的には15個程度らしい。多くを作らない。
 会社の周りには、F-1戦闘機や自衛隊の輸送用ヘリコプターなど6,7機あっただろうか。雰囲気は子どもたちは大しゃわぎだろうが、少し威圧感があった。

 会社経営理念を紹介しておきます。(ミツ精機)
 ○ お客様にご満足をいただき我々は繁栄し、ロマンのもてる会社にする。
 ○ 常に高度な技術に挑戦し、時代に即応した製品を生み出す。
 ○ 社会にとって存在価値のある会社にする。

 およそ300人を抱える大企業ですが、学ぶところはたくさんありました。

第268 2009.01.28

イルカ、コンサート
 24日、びわ湖ホールにて、フォークソンググラフィティ、「イルカと音楽仲間たちコンサート」が開催されました。私は家内と二人で出かけました。昨年の末には、大阪城ホールでの、ジュリーの還暦コンサートに、家内は友人と行きました。音楽コンサートに少し目覚めたような感じです。私の方はと言うと、青春時代に友人と二人で、天地真理のコンサートに誘われた時以来です。
 はじめは、びわ湖ホール声楽アンサンブルがあり、その後男性のソロでの’千の風になって’が歌われました。豊かな声には、会場もひっそりと静まり、その歌声には会場全員が魅了しました。続いて童謡’月の沙漠・花・赤とんぼ’の3曲。何となく季節と風景が目の前に広がるような、気持ち良い歌声にうっとり。
 第2部は、元ジローズの杉田二郎が歌う、’戦争を知らない子どもたち’。元赤い鳥、Hi-FiSetの、山本潤子が歌う、’卒業写真・翼をください’など、青春時代の曲が8曲。少し口ずさみながら、楽しく懐かしく聴き入りました。イルカはやっぱり’なごり雪’だ。「汽車を待つ君の横で僕は、時計を~見つめてる。季節はづれの雪が降ってる~」あ~~なつかしいな~青春時代!好きな子がいたり、いなかったり。振られたり、また、振られたり!今はメールだが、当時はラブレターだ。こんな時代が「ほんま、懐かしい~!」
 ’サラダの国から来た娘・まあるい命’など会場と一体感を持った歌声は楽しいもんだ。
 仕事を少しだけ忘れて、歌声の中に吸い込まれながら、時には歌詞を思い出しながら一緒に歌いながら、おまけに青春時代に一時タイムスリップ!
 コンサートに誘ってくれた家内にしばし感謝だ。

第267 2009.01.06
今年の言葉2009
 今年も仕事始めに、目標の言葉を書き初めとして、書くこととしました。

  勝美     実相世界
  森       新進
  晃久     不動心
  河原     石に立つ矢
  小林     SPEED UP
  浅井     細 小 気
  剛士     覚える
  大森     集中
  角川     考して行する
  高子     切磋琢磨

 実相世界って!
 架空の世界をいうらしい、自分が「こうなってほしい」と、いつも思い、強く思い、信念を持って行動していくことによって、少しづつ周りに受けいられて、形となっていく。それが具体的に実績となってくると、確信という形に変わっていく。確信が後ろ立てしていくと、自分自身に使命感という重圧が覆いかぶさっていく。その重圧は、そのことに対する情熱であり、進むことができる。という、とても重い言葉であり、仏教の言葉です。この言葉を家づくりに対する、気持ちの持ち方として、これからも進んでいきたいと思い、この言葉を選びました。

 弟子たちも、昨年を振り返っての、一歩前に進んだ言葉を、筆に託してくれたことで、今年も良い年になりそうな気がします。
 皆さん、今年もよろしくお願いします。

第266 2009.01.04
 2009年あけましておめでとうございます。今年も良い年になりますようにお祈りします。
 そして、引き続きこのHPもよろしくもよろしくネ!

 元旦は、雪雲に覆われた鈴鹿の山からは、初日の出を見ることができませんでした。寒いお正月になってしまい、2日の初仕事は、工場の前の雪かきをしました。この雪はとても水っぽくて、木の枝がたくさん折れてしまいました。初詣は、例年太朗坊宮へ行っています。が、天候のためか人では少ないように思いました。
風見鶏の家 うろこの家 神戸港の夜景
 昨年暮れに当選した景品の、「神戸港クルージング、ペアご招待」に、新春から出かけることとなった。
 せっかく神戸まで出かけるのだから、異人館散策と、もう少し足を伸ばして姫路城というプランで、行きました。
 震災前に、風見鶏の家には行きましたが、阪神大震災には大きな被害を受け受けたそうです。新しく積まれた赤レンガは、その後の復興で再生され元の姿に戻りました。うろこの家の外壁に張られた、板石も再生された所は、色むらもなく新しさを感じますが、以前の色むらのある、ある種のばらつきは本物間を強く感じ、とても感じよく年老いた風格を感じました。
 内部の衣装も、現代の家づくりのヒントになっているような、平面の計画太陽光の入れ方、風とうし、風景を楽しめる開口の取り方、ステンドグラス、階段の意匠、各室にある暖炉の意匠。どれを見ても飽きの来ないものばかりだ。北野通りを中心に伸びている異人館通りは、たくさんの珍しい建物があり、散策するには、とてもいい環境です。
 北野通りを後にし、震災メモリアルパークに行きました。ここは、すぐそこに神戸ポートタワーがあるところで、震災にで液状化し、神戸の港が激しく壊れたところです。当時の被害をそのままにとどめ、地震の激しさを今に伝える、貴重な資料です。地震の破壊力の大きさを改めて見せつけられました。
 夜は、写真のようなステキな夜景を見ながらの、ナイトクルージング。沖へ出た船からは、神戸の街の明かりはもちろんのこと、明石海峡大橋のライトアップも見られ、船上でのディナーのおいしかった。
白鷺城 壮大な天守閣
 翌日は、いつかは行ってみたいと思っていた、国宝・世界遺産の姫路城。白鷺場といわれる城だ。
 大手門をはじめとした、いくつもの、門を通り抜けると天守に着くがそこまでの、アプローチというのか順路には、戦国武将達が想像したであろう、戦への構えが感じられた。その中には、当時の現実なものが現代どんどん無くしつつある、ものつくりの失っていくものが何であるのか、が、読み取れそうでした。石・木・土、他には金物が少しあるだけで、すべてが構成されている。太い材料、骨太な木組み、荘大だ。城郭建築の醍醐味を味わいました。こんなものを作った大工や棟梁がいたんだ。
 ことしも伝統構法にこだわらずにはいられませんでした。それを普通の家つくりに戻すために。

第265 2008.12.31

2008年お世話になりました
 朝起きると雪が降っている。わが家から東南に見える鈴鹿の山並みも、グレーのゆき雲の中にすっかり入り、目から寒さが伝わります。畑も雪がおおい「白菜は?ねぎはどこ?」といったように雪の下だ。今日大晦日に雪がある事は近年めずらしい。庭先に木には、アマカエルが日干しになって刺さっている、おそらく小鳥の仕業に違いない、冬場のたんぱく源のための備えだろう。わが家は、薪ストーブの暖房のおかげで、朝起きても18度ととても温かい。おがくずや廃材を燃料にした、薪ボイラーでの床暖房もとても効果的に機能し温かい。昨年一年間に使用した灯油は、40Lだった。どんどんガソリンなど値上がる時期、冬場の燃料代には全く心配がありませんでした。

 今年はいろんなことがありました。
 淡海里の家事業協同組合が主催する「根本から見つめなおして、ちゃんとした家をつくる」のセミナーが50回を迎え、記念セミナーを企画。金沢工業大学名誉教授の鈴木有先生を迎え、道の駅「マーガレットステーション」にて、開催できました。参加者79人、盛会でした。
 木の家ネットを含む、「これ木連」が開催した、東京、光学院大学でのシンポジューム「このままでは伝統構法の家がつくれない」に、滋賀から参加者と募りツアーとして企画できたこと。2泊1日(2泊とも車中という強行)31人の参加でした。
 11・12月の二回にわたり兵庫県三木市にある、E-ディフェンスでの、実大振動実験にスタッフとして参加させてもらったこと。

 母校の彦根工業高校の建築科の実習に、息子と二人で講師として授業に行ったこと。
 福井木の家協同組合の依頼で福井まで講師で行ったこと。

 湖東中学を卒業し、37年ぶりに同窓会を企画。仲間の協力を十分に得ながら開催し、半数以上の仲間に出会えたこと。そして盛会に終了できたこと。この企画は友人と「わいわい」やりながら楽しかった。

 家づくりでは、瑕疵担保保障制度が来年からスタートするための講習会や、長期優良住宅、建築仕法の改正の講習会など何回か参加した。

 世間は大不況。2009年はどんな年になっていくのだろうか。
 一年間、つれづれなるHPをご笑読いただきありがとうございました。
 2009年もよろしくお願いします。
 

第264 2008.12.07

_E_-ディフェンス_(2008)
 11月26~28日と12月2~4日 の二回に分け、兵庫県三木市にある、世界最大級の実大三次元震動破壊実験施設にて、伝統構法で建てられた家の震動実験が行われました。
 7月の「これ木連」主催の「このままでは伝統構法の家がつくれない」のフォーラムの延長線上にある企画で、国交省が実施してくれる、現在建てられている家の構造耐力についての、検証をするものです。この結果をもとに、研究と開発を重ね、次年度は仕様についての実験、再来年はそれらを基にした、実大実験という流れになる予定だそうです。
 私はこの六日間、前半を関東版(都市近郊型)B棟。後半を関西版(地方型)A棟の、二棟の実大実験に、木の家ネットの会員として、各実験後の損傷観察員としてかかわらさせていただきました。(大津の三和総合設計の岩波さんや宮内さんの「参加の強い呼びかけがあっての事」)B棟は晃久と一緒です。損傷観察員は全部で30人。それぞれ各部屋・各外周を分担し、損傷部分の写真撮影とスケッチ。
B棟の実験体
3間欠ける間
内部の損傷観察をする様子
岩波さん、宮内さん右端は息子の晃久
E-ディフェンスの外観 バカでかい
400tのクレーン
写真は、そのフック
 実験の感想
 A・B棟同じようにBCJ波を20%で、桁行き方向妻行き方向それぞれに加震。全く影響が無い。
 BCJ波100%(基準法でいう大地震)も、桁行き方向妻行き方向それぞれに加震。この後の損傷観察では、土壁のひび割れや剥落が見られた。加震時、ねじれるように変形した。無傷と言うわけにはいかないが、構造体は痛むことは無かった。が、一間の土壁やほぞを取り巻く土壁のあたりは、大きくひびが入った。
 翌日の、JMA神戸波100%は、大勢の見守る中加震された。緊張の中無事でいてほしい思いが込み上げた。B棟は、足元を浮かしながら、土壁を剥がしながら踏ん張っているように見えた。大きな変形が見られたが、加震終了後は、全く残留変形がなく、立っていた。調査の結果、管柱や通り柱が予想されていた通り、横架材下で折れていた。土壁も落ちていた。
 A棟は、BCJ波で土壁はかなりやられていた。JMA神戸波100%加震では、こっぴどくやられた。この加震では、プラン上で開放された方では、鼻栓が折れたり、横架材の下あたりでことごとく折れていた。大破した感があった。でも、倒れることなくしっかりと立っていた。少し感動した。
 A棟に関しては、このあと震度7クラスの鷹取波が入力され、とどめが刺された。大破してしまった。

 2棟の実験を振り返って。
 BCJ波100%(基準法でいう大地震)では大丈夫な建物であっても、健全とはいえない。本来、土壁を傷つけながら変形に耐えていくという理論。鼻栓や込栓を折りながら軸を守ると言う理論。このことは「そうでなければいけない」し、その結果が出た。
 JMA神戸波100%では、大きな変形と破壊が起きた。軸組みも結構いたんだ。しかし残留変形は見られず、すっくと立っていた。中に住む人の命は完全に守れたことになる。加震時の変形する姿は、ひどくねじれ、軸組みを傷める大きな破壊音。変形と加震が共振した時の破壊力はすごい。
 いずれも、浮き上がりの拘束はしていないが、水平方向の横移動は固められていた。もろに地震力が建物に伝わる仕組み。三次元の拘束がされていなかったら、大きな破壊は起きなかったように感じる。
二階部分の荷重は、間仕切りまでしっかりとした土壁があり重い。各階の荷重のバランスも課題だと思います。
 B棟は、構造貫四段。A棟は下地貫三段。と違った仕様。軸組みの堅さと土壁の堅さに大きな差のない、構造貫の方が有利に働いているように感じた。二棟とも、平面プランは同じですが、プランと同時に架構計画にバランスがないと壊れやすいものになる。加震時の変形、うねる姿を見ると強く感じる。現代には平屋しか無理なのかもしれない。
 土壁の強度が無いようにも感じた。下地の粗さとか塗り方とか土本来とか、課題はある。

 最後に、神戸波の破壊量の二倍ともいわれる鷹取波は、なすすべもなく家を壊してしまった。
 基準法の強震に耐え、神戸波の激震に耐え、とどめをさす鷹取波。ここまでしなくてもいいのに。
 壊れた家に敬意を表し、見えてきた課題に直視し、私たちは何をしなくてはならないのかを、しっかり見据えなくてはならないと、強く感じました。
 現場実務者・研究者・法律をつくる人・伝統構法を愛してやまない人すべてが、日本の文化を、風景をしっかり後世に残していけるように頑張りましょう。
箱木千年家 浄土寺
 朝の朝礼と、作業の合間をぬっての、見学。箱木千年家と浄土寺へ行ってきました。

第263 2008.11.30
サツキとメイの家
 11月21日《根本から見つめなおして、ちゃんとした家をつくる。》連続セミナー54回目を開催しました。
 2005年、愛知県で開催された「愛・地球博」で、スタジオジプリでおなじみの、トトロに出てくる研究者とサツキとメイ生活した家が建っています。
木の家ネットのHPより抜粋
 建築にコディネートとして携わったのが、今回のセミナーの講師中村武司さん。彼の言葉で紹介をしたいと思います。

 「出会い力」~最近こんな言葉をよく頭に思い浮かべます。
 ひとは絶えずいろいろな人との出会いを繰り返しながら生きています。
 ふとした出会いの小波があとになって、大きなうねりをともなう潮流となったりします。
 2005年愛知県で開催された国際博覧会での「サツキとメイの家」もそうでした。
 「映画のセットではない本物の家をつくりたい」と言うスタジオジプリとの出会いも経済や建築業界の枠 にとらわれない、ちいさなちいさな接点が始まりでした。
 大きな国家的プロジェクト船団が航行する大海原に手漕ぎボートで繰り出す気分でした。
 遭難しかけたこともありましたが、やはりひとの出会い・つながりが助けてくれます。
 かまど・長州風呂・井戸ポンプ・焼きむらのある瓦・ゆがみガラス・・・
 昭和10年に建てられた家を現代に建てることは、さまざまな職人との出会いの連続でした。
 「サツキとメイの家=時と心をつなぐ家づくり」だったと思います。
 親方としてジプリや博覧会協会そして各職人たちをコーディネートしてきた想いを、出会いとネットワー クの大切さを、感じるままにお話ししたいと思います。
            文責  中村武司

 スライドと模型を組み合わせ、当時を思い浮かべながら、話してくださいました。
 本来、国家的プロジェクトでありながら、個人の大工に話が持ちかけられるなんて、ちょっと不思議ですね。やっぱりじかに家をつくる人っていうのが、大切にされ必要とされていたことがよくわかります。
 普段からの中村さんの世間への発信が功を通した形だと思います。一人の大工として見習わなければなりません。

第262 2008.11.23
木の家ネット川越総会
 11月15・16日、木の家ネットの総会が埼玉県の川越にて開催されました。埼玉の会員である宮越さん綾部さんたちのお世話でした。岩波さんと宮内さんと三人での参加です。
 蔵の町川越は、町並みに黒壁で意匠された、趣のある重厚な蔵建ての建物が点在し、町に歴史を感じさせるとても良い感じです。その町の一角、茶陶苑を中心に総会が開催されました。
 茶陶苑で交わす言葉は、「やーお久しぶりです、元気!」秋田から熊本まで、全国から集まる建築の専門家ばかり(ひと癖あるつわもの、と言った方がいいかも)。
 早速シンポジューム開催。この大きな蔵の持主の山崎さんの大蔵再生にかける思いや、御苦労の話。川越蔵の会の守山さんの歴史の変遷の話。森林ジャーナリスト赤堀さんの全員参加型のパネルディスカッション。とても意味深い時間でした。にもかかわらず。100人近い人を呑み込んでいる、この大蔵。全く生き苦しいこともなく、快適な環境の中、進行されることが不思議なくらいいい感じでした。
 夜の懇親会もにぎやかに盛り上がりました。
 その後の分科会も、先日放送された「情熱大陸」で登場された、滋賀大津市の宮内さんの映像を鑑賞しました。あいかわらず、みんなの熱のこもった意見交換会。午前様。あ~~~眠い~~~。
茶陶苑 遠山記念館 東棟
 翌日、木の家ネットの総会。事務局の持溜ヨハナさんの丁寧な説明と、木の家ネットのHPに隠れている、もったいないくらいの多くの情報。これはすごいぞ!再確認。和也さんヨハナさんに感謝します。
 昼からは、少し移動し「遠山記念館」を見学に行く。
 遠山邸は、昭和8年から2年7カ月を費やし、全国から集めた銘木材の数々、「圧巻」すぐれた大工技術の高さ、意匠と庭園を取り込んだ風景その設計力のすごさ。東棟・中棟・西棟と三つからなる邸宅は、200坪を超える建築面積、飽きることが無い。
 しかし現代では、このような建物は建築することがかなわなく、文化財クラスにならない限り修理もできないだろう。日本の高い技術、近年法律化される内容では、大工の技術は消えていくばかりで、どうしょうもないくらいのスピードで、、、。世界に誇れる高い技術はどこへ行くのだろう。こんな思いが頭の中をグルグル回りどうしようもないさみしさが胸を突いた。
 川越総会ありがとうございました。来年は熊本で再開ですね。

第261 2008.11.22
近江八幡散策
 近くの観光地にはなかなか行けないものですが、今回、近江八幡の八幡掘り周辺に行く機会がありました。
 八日市の建築組合で、地域流通券(一種の金券のようなもの地域通貨)を、朝集合場所で受とり自由な時間で、散策をしながら地域通貨えお使い、地域振興していこうというもの。
 妻と二人で、日牟礼八幡(さぎちょう祭りのところ)へ行き、八幡掘りを少し歩きました。堀のあたりには何人かの、絵描きがキャンバスに筆を走らせていた。私たちの見る風景と彼らの目に入るアングルは少し見え方が違うのだろう。船着き場に行き、八幡掘りから水郷巡りをしようと思ったが、実はその二つは全く別のものであることがわかり、八幡掘りめぐりは止めることにした。
 瓦ミュージアムでは、近江八幡主出身の伊庭広人さんの絵画展が行われていました。「沈黙する素材」というテーマ。一昔前にはどこにでもあったような、現在なら見過ごしてしまうような、一向気にもかけないような風景を、一枚のカットされたような写真のように表現された絵。何度も何度も感動しながら見ていました。絵の才能のある人ってすごいですね。
 昨年、鈴木ゆみさんと今井さんの、源氏物語の語りの会(?)。が100回記念で行われた会場の、村雲御所へも、この後生きました紅葉には少し早いかな?という感じでしたがたくさんの人が観光に訪れていました。
 新町の街並みにこの後生きました。滋賀で町並み保存がされているところは、五個荘町の金堂と、大津の坂本と近江八幡の新町の三か所だけしかないということも始めて知りました。伴邸に入ったときの木組みされている木材の大きなことに肝を抜かれました。差し鴨居なんかは、成が二尺くらいあっただろう、松の梁もとても長く太いもので、以前はこんなものがあったのだなー、大工も大変だったんだろう!今こんなん作れーへんなー!
 畳表で財をなした近江商人の伴家、質素倹約、三方良しの精神。この精神がこんな立派なものを、作れるような人になっていけるんだな~。
 一度は行ってみたかった水郷巡りに、時間ぎりぎりのところで行くことができました。船頭さんの説明と葦の風景、水辺で遊ぶカモやカイツブリ、船から見える景色は、目線を低くするため、余計なものが見えなく一服の心の浄化ができました。晩秋に訪れた水郷巡りでしたが、芽吹きの春もとてもいいのではないでしょうか、皆さんも一度行かれてみてはいかがでしょう。

第260 2008.11.09
福井木の家協同組合
 11月8日、福井協同組合の主催する勉強会に行ってきました。
 今年1月に、五個荘で「木組みの家に暮らす」の著書、松井郁夫さん(東京在住)を招いての、「根本セミナー」を開催しました。その後松井さんの企画する「木組み塾」に生徒として参加している、笠原さんから連絡があり、松井さんの故郷福井で、講演をしてほしいとの依頼がありました。つまり1月のセミナーのお返しかな?
 話すことは得意ではありませんが、気持ちだけは負けないつもりです。(家づくりの)快諾とはいきませんが、まあ何とか!
 朝早く出て、おだ住建の織田社長と合流、先日引き渡したと言うお宅へ伺いました。よく考えた気持ちの良い家でした、たくさんのアイデアをいただいたような気分でした。昼食にいただいたお勧めの「こうみそば」は、ほんまにうまかったなあ。
 講演は、2時間半。組合のこと、伝統構法と現代構法、石場建ての家のこと。パワーポイントも自家製で頑張って、この日に合わせてつくりました。
 この組合も10年前の当時は、70社から成る大所帯だったそうです。が、現在は30社まで減ってしまったそうです。やっぱり、メーカーに押される中、単価のみの競争ではプレカット横行で、意の思うようにはならないそうです。どことも同じなんだな~。「日本の家づくりはどないなったんや~」

第259 2008.10.25

古民家再生工事ー神田の里ー3
     
かやめくり  時間を感じるすすの厚み かやをはがした後の煤竹の屋根下地
かやをめくるのは何年振りだろう。私には経験があるのだが、若い弟子たちは全くの未経験。どんなんだろう?どれだけ汚れるのだろう。かなりなもんだろう?そんな思いの中、鉄板のめくりが始まり、続いてかやのめくりが始まった。「わあ~~~、すごいな~~~!」危険な足元を気にしながら、口も利かずに(すすのほこりが汚いから)もくもくと!杉ファンクラブの児玉さんも応援に来てくれ、設計の角川さんや妻の高子まで総動員。写真中央は、梁の上に積もったすす。ごっそりと積もっている。写真右は、かやをめくった後の、すす竹の様子。
 まだまだ続く古民家再生工事。

第258 2008.10.25

里山の木なんだ!
 今年の5月に、マックスウッドの回渕さんに誘われて、伊那市へペチカの研修に行きました。その日のおまけのコースに寄らせてもらったのが、有賀建具店、私はペチカよりこの建具屋さんに感動した。
 今回、地域材雑木でつくる、建具や家具の作品展の開催の案内をいただき、12日、剛士と一路伊那に向かった。かんてんパパホールで開催されていて、有賀さんに出会うと、快く案内していただいた。
 5月見学させていただいたときも感動したが、今回さらに、熱く胸を打つ作品の数々。建具や家具のデザインはもちろんだが、木が持つ本来の美しさが最大限に引き出されている。システムキッチンもあった。
 有賀さんは、チップにされる雑木と言われる木を、珍しいもの使えそうなものを集め製材し、工場の周りは所狭しと積み上げられ、その種類は国産材ばっかりの、常時60種。圧巻である。
 捨てられていく運命のものにも、創意と工夫によって、素敵なものに変化していくことに改めて感動をしました。
 木に対する愛情のようなものを、有賀さん自身から感じました。

 帰り道、木曾ヒノキが一度見たくなった。赤沢自然林に向かった。道すがら何軒もの製材所があるだろうと思っていたが、通り道には1件しかなく(これも土場のようなもの)立ち寄ることはかなわなかった。
 自然林には、さわらの大木を見た。また、木曾ヒノキの森に足を踏み入れて驚いたのに、根っこが木を持ち上げる様に生えていたり、根っこが露わに這いでてさざ波のように森の中が見える。「この木で樹齢200年」?一抱えほどだ。なかなか太くならないんだな~。その分製材した木の肌は、独特の美しさがある。

第257 2008.10.13
箕川の杉
 10月5日、朝から小雨の中、地域循環システムのウッドストックのメンバー6人で、箕川に行きました。今、真っ最中の伐採現場、河島さんの家を建てるために、自分の山の木を切り出すという、まさに、地産地消。自分の家は自分の山の木で!
 阿野さんの案内で滑り落ちるような山を20分ほど歩く。山の中で迎えてくれたのは、循環システムの会長の阿野茂樹さん、山の人で山仕事をする、冷静で山のことのいろんな話をしてくれる人。
 山の中では、あちらこちらに杉の木が伐採されていました。建築に使う梁材なのか。「あの木見てみ!」と指をさす先には、どーんと立つ立派な杉の木。120~30年の大木。谷の向こうにあり、私たちの足では、ぬかるんだ山の道、近づくことが危険だろうと足止めをくらい、眺めていた。木の太さは、人が木のそばに立ち、胸の高さ(胸高)で幹の周りがどれだけあるかを言います。立派な木は、9尺あるそうです。直径はおおよそ3尺。近くにもこんな木があるんだ。他にも、モミの木の大木があったり。
 山の木を出すのに、架線が張られていた。200mあるそうだ。架線を張るのに、200万と大きなお金がかかるそうです。山の木を出していくのに、架線や人件費となれば大きな経費がかかります。その割には木の値段は安い。

 私たちのウッドストックのメンバーは、材料の規格化と地域材の強度を調べるという、実務があります。その後者の強度の実験に使う、梁材になる材料を調達するため、木の育つ現地調査に行きました。
 永源寺・多賀材の比較、乾燥材(すでに2年たつ、長谷川林材・マルトにある地場産材)と、葉がらし乾燥製材とまだまだ含水率の高い材との比較、丸太材の強度など、今年度に成果を出せるように努力したいです。
 また、報告させていただきます。

第256 2008.10.13
森つくり交流会-08
 10月4日、森つくり交流会が希望ヶ丘の花緑公園で開催されました。
 前回の2回は、大津のなぎさ公園で開催され、滋賀県の主催とはいえ、あまりにも地域的にふさわしくないとの、組合での(淡海里の家)昨年の反省から、今回は不参加で。と、なっていました。が、開催場所も変わり、今年も参加をしました。
 朝早くからの準備に、長谷川林材の角さん、野田瓦やの野田さん、さみしいことに3人だけ。ほかの参加チームは、ワイワイ賑やかムード。ちょっとうらやましい。
 参加団体は、例年とあまり変わらない。マックスウッドの回渕さんは、キッチンストーブでピザを焼いたり、高取山のバイオマスの仲間は、足湯でデモンストレーション。毎度のことだが、丸太の椅子ベンチつくりには人気がありました。岩波さんらの(三和総合設計)大津の森は、今年は木の家の模型があった。
 なんとなく、こうしなければいけない、とか、これだけの売り上げがほしい、とか、課せられたものは無いため、暖かい日差しの中、ゆったりとした時間が過ぎて行きました。
 完成見学会などで披露している、写真の展示には、見いって足を止める人も何人かありました。また、人気の木のケルンは、相変わらず超人気。参加することに意義があるのかなー!!!

第255 2008.09.24

かやぶきの郷ー美山
美山の風景 金田さんと 柿の木とかやぶき
 古民家の再生工事について、金田さんに(金ちゃん)いろいろ教わった。そのお礼も兼ね、21日綾部を訪れた。夜遅くから車で出かけ、仮眠をしながら朝早くお邪魔した。この日は、金ちゃんの自治会の運動会があるはず、でも朝からの雨のため中止。ゆったりと朝食中でした。奥さんとお子さん二人とお父さん、食事中にお邪魔した。1時間ほど話しただろうか。家庭の雰囲気は、古民家に暮らし、自然な生活の温かさのような、ちょっとタイムスリップでもしたかのような、時差や「こうでなくては!」みたいな、何か教えられるような不思議な感覚になりました。金ちゃんの家を後にし、今回のメインの美山に向かうこととする。
 7月にお邪魔をした時、かやぶきの郷ー美山を是非行く事を勧められていたし、噂も聞いていた。一度は行っておかないと。
 綾部から美山に向かう途中、かやぶきが鉄板に覆われ、その姿がいろいろあり面白くなった。車を何度も止め、写真を撮った。本当にいろんな職人(板金職人)の思い入れや、アイデア・形があるもんだ。目的地までは、かや葺そのままというのは少なく、大半が金属屋根に変わっていた。プレハブなんてないですね。それに、若い人たちはいないんだろうーな?
 途中、「日本最古のかや葺きの民家、石田家」と言うのを発見しました。1650年3月31日が築造年。実に370年江戸時代!中に入る事は無かったが、外に面した柱や梁の、チョンナかけした、木の肌さわり、風格は風雪に耐えた強さと、ど根性を感じる。迫力を感じました。「この感覚が、職人たちが古民家に取りつかれる、病原菌なんだ」。と、思いました。
 かやぶき博物館も途中見学と言うことでお邪魔した。移築したものだそうです。古民家再生のヒントがたくさんありました。
 車を走らせ、美山に着くと遠景は、連続した茅葺きの家がきれいに並んでいた。四方には山が迫り、どの方向から見てもバックは緑の山。とてもきれいだ。散策すると檜皮葺きの庇にススキで葺かれた茅葺の屋根が、微妙にカーブしやさしいスカイラインを創っている。こんな線は普段見たことがない。低く低く、おおらかに。ほとんどに家の庭先には、よく手入れされた松が枝ぶりよく構えている。そんな中、年老いた柿の木が茅葺きの家とうまくマッチングしている。
 この美山には、私たちが生まれ育った頃の、原風景が完璧というくらい残っている。このことが観光客を呼び、人々の心を癒してくれるのだろう。
 しかし、美山は遠い山の中だ。

第254 2008.09.18

古民家再生工事ー神田の里-2
足固めで固める ジャッキアップして、耐圧版を作る。石場建てで。 建て起こし
 天候の心配もあり、比較的軽いであろう、茅葺の屋根はそのままにして、柱脚の沈下の分を元のレベルに戻すことから、始めました。
 全体を支える柱は、15本ほどで、これが全ての荷重を受けている、8cm程度の沈下があった。鳶職でない私たちがジャッキアップするのだから、うまく上がるだろうかとても心配でした。緊張した数日が続きました「地震が来たらアウトやね!」とか、言いながら。玉石を巻くように耐圧版を造った。柱を下ろしたときは、ほっとした。とても大変な作業でした。

第253 2008.09.16
古民家再生工事ー神田の里-1
        再生工事前の様子
 7月に入り、いよいよ再生の工事が始まった。築120年のかやぶきの家。どこにもあったかやぶきの家で金属板(波板にペンキ仕上げ)で覆われた、30年も前なら、こんな家なんか当たり前で珍しいなんてことは全くなかった。
 かやぶきは、現在建築することはかなわない。せめて地方に点在的になんとか形をとどめる、伝統的な民家を残したい。そして、住みつずけたいと願う、村井さん家族。その願いを叶うべき使命のような、変な感じで再生工事をさせてもらっています。そんな工事の様子をばっちりと、伝えていきたいと思います。
                  
土壁が下まで降りた伝統的なつくり 上部の土壁がはがれている様子
 全体的に見て、柱は細いほうだ。差し鴨居の成もしっかりしているとは言えない。土間部分の曲がり梁は大きなものがしっかりと入っている。古民家の命は、この3点で決まりだ。と、思う。内装が新建材でリフォームされていたので解らなかったことが次第に見えてくる。もちろん石場立て。足固めは皆無。大黒柱を中心に80mmの、下がり。
足元の固定から始めて行こう。

第252 2008.08.25

しゃんない工房にて
 8月15日、「川村さん~!木いりませんか~。実のなる木。」と、冨居先生(妻の高校時代の担任)から電話がありました。「どうしたんですか?」「木も大きくなったし、水やりをする時間も少なくなってきたので、もらってほしい。」
 一度見に行くこととなり、もらい受けることとなりました。
 17日、琵琶湖の東側湖周道路の彦根市の新海浜の看板が見えると、すぐ西側は新海浜です。このあたりは、企業の保養所があったりで、ちょっとしたリゾート地。そんな一角に、ト富江先生の、夢織工房しゃんないがあります。さおり織をはじめ、現在では、土を使わないガーデニング、カラーサンドとセラミスによる立体アート。そして実のなるガーデンハウス。岩波さん(三和総合設計)の設計された、雰囲気のいい木造の工房の四方には、所狭しといっぱいの、実のなる木が茂っていました。ブルーベリーはそのままもぎ取りパクパク。
 今回、大切に育てられた、ブルーベリーをはじめブラックベリー・レモン・八朔・ラベンダー・デコポン・シークァーサ・グミ・フェイジョア・マリーゴールド・シナモン・バラなど100株ほどもらい受けました。秋には、地植えされているもっとたくさんの、木をもらう予定です。いつも彦根の西川さんにブルーベリーをいただいていますが、我が家でも収穫できるようになりたいものです。

第251 2008.08.25
高橋邸上棟
 8月5日には小屋を、お盆明けの20日には本宅の、棟上げをしました。彦根市の稲枝、高橋邸は平屋建ての40坪、設計は平塚さん。石場建てにするには、もってこいの現場。なぜか、HD金物がたくさんある。
 今回は、息子の晃久が、大工棟梁として墨付けから、大まかな段取りをすべて任した。7年間になる大工の実力と試す機会です。当日は、息子より私のほうが、緊張感があったかもしれません。でも、大貫やおりおきぐみによる伝統構法で、きっちりと組みあげました。ひとつひとつ実績を積み上げることが、本人の自信にもなり、今後平成という時代で、若き棟梁として生きて行ってくれればいいな~。そして川村工務店の若い弟弟子たちの見本になり、さらに技術を磨きあげて行ってくれれば、、、。と、思いました。
 材料は、国産材100パーセント。横架材は彦根市の長谷川林材さんより準備していただいた、永源寺の君が畑産がほとんどで、わずかに多賀産が混じっています。ジャングルジムのような木組み、ぜひ、見に来てください。

第250 2008.08.24

 37年ぶりの再会
 今年の1月に、「中学校の同窓会を4クラス合同でやろうか」と言う話が持ち上がり、各クラス4人、計16人の発起人が集まりました。お盆の16日、八日市のロイヤルホテルで開催するように、奇数月に企画会議を重ねてきました。
各個人が持ち寄ったアイデアを完成させるために、みんなが協力しながら、実に、37年ぶりに同窓会を開催し再会を果たすことができました。
 同窓生は159人、もうすでに故人となられた人も3人。今回は、恩師4人を含め87人の参加がありました。遠くは東京・神戸から参加してくれました。
 圧倒的には東近江市に居住する人が多いのですが、なかなか出会う機会もなく、卒業以来初めて顔を合わす人もたくさんありました。面白いことに、受付時、誰が誰だかまったくわからないのですが、名札を付けてもらってはじめて「ああ~ん、○○やん」みたいな。再会を果たす時ってこんな感じなんだなー。面影が残っていたり、全く変わっていたり、逆に変わっていなかったり、女性は特に分らないものですね!
 早い人は、お孫さんがいたり、そのお孫さんも小学校に入っていたり、すっかりおばあさん。若々しく見える人や、もう、髪の毛とはさよならをして、いかにも会社重役。白髪混じりになった人もたくさん。まるっっぽ、関西のおばちゃんって人も。
 食事をしながら、記念の写真を撮ったり・恩師へ花束を贈ったり、思い出の写真を見たり話したり。37年の時間を埋めることは不可能ですが、少しでも生意気だったころに、タイムスリップし旧交を温められたこと。恩師の元気そうな顔を拝見できたこと。参加は出来なかったものの、連絡先が確認できた人。何より、企画をし仲間たちと時間を共有でき、発起人という仕事に携われたこと。開催したことへの感謝の言葉を、参加者の誰もが言ってくれたこと。
 開催できたことの喜びと、今回発起人として、また代表として重責を果たせたことに、参加者全員に感謝の気持ちでいっぱいです。
 次回開催されることを祈念したいです。

第249 2008.08.23

花火とトヨタ
 西沢工務店の棟梁(政男さん)に勧められ、つい最近建築士会に入りました。「棟梁専攻1級建築士を取れ、」ということで。
 多賀の友人、樋栄君からのお誘いで、北びわこ花火大会に行きました。彦根港からの船でのクルージング。天気の心配もなく、暗くなってきた湖面を長浜に向け出発しました。湖面は少し波が荒いようでしたが、渡ってくる風は、昼間の暑さを忘れさせるようような、すがしさがありました。湖上から見つめる花火は、足もとから見え、迫力と美しさが存分に楽しめました。気がついたことですが、湖上には蚊がいない為、虫刺されの心配がないんだなー。
 船内では、お弁当は出るは、河島さんや古川さんをはじめ、たくさんの友人に出会いました。みんな、こうやって夏を楽しんでいるのだなー。と感じた、ほんのひとときでした。8月5日のことです。
 10日は、松宮さんに誘われて、建築士家族会のイベントで、トヨタの博物館に出かけました。妻と参加です。
 国産第一号の自動車、性能が著しく悪くて輸出を途中打ち切ったといわれる、国産輸出車第一号。「こんな車一台ほしいよな。」テーマ展開催でったので、海外からのプレミアチックな車せいぞろい。 
 国産第一号のトヨタ車を見たとき、日本人のものを作っていこうとする技術と、改良を加えていく情熱、を感じました。この車から、飛躍的な高度成長があり、車社会が広がり製造や流通がどこからも期待できる時代が来たんだ。トヨタってすごいなー。反面、造っては壊す、耐用年数以上のものは作らない、物質は短命なほど経済はより動く。みたいな、そういった良からずの精神を日本人に蔓延させたのも、車社会なのだろう。そう思うと第一号車は、憎く見えもした。
 温暖化はここからはじまったのかな~!

第248 2008.07.24
金ちゃんの心風景
綾部の景色 そろばんレール 金ちゃんの夢
 7月20日、木の家ネットの仲間の京都綾部で古民家を手掛け、保存や再生に命をかけている様な、世間から見れば少々変わり者な、金田建築の金ちゃんの所に、朝早くから出掛けてきました。
 今工事が始まったばかりの、八日市の村井さんの古民家再生工事。工法について教わってきました。それと、工事中の現場を見せてもらったり、今買ったばかりという、自宅にしようとする古民家。(右の写真)その玄関の敷居にある、とても珍しいそろばんレール(始めてみました)。この民家の前には、金ちゃんの田んぼが八反弱。蛍が乱舞するそうです。お昼も、金ちゃんの家に行き、(これまた古民家)御馳走になった。
 金ちゃんは、仕事も古民家を得意としながら、実生活もずいぶん昔の生活を取り入れ、便利さやハイテクとは切り離し、ごく自然でエコ。こういう生活をしていくことで、人にもったいないとか食や住を語れるんだなー。とつくずく思いました。
 近くで、一緒に仕事ができたら?
  
 綾部ってすごく町なんだろうなーと思っていましたが、少し離れると、山の緑にすっぽりと入りこんだ古民家が、なぜか自然で、家や住まいも自然の一部なんだ。と思いました。
 私の近くでも、すごいスピードでりかちゃんハウスが建っている。日本の家つくりは、もうすでに守りに入っている。
すべてが、アメリカン・ヨーロピアンでいいのだろうか。
 金ちゃんありがとう、また行くからね。

第247 2008.07.18
このままでは伝統構法の家がつくれない!
 7月12日(土)東京の新宿にある工学院大学にて、これ木連(これからの木造住宅を考える連絡会)主催のフォーラムがありました。タイトルは、このままでは伝統構法の家がつくれない!なんか寂しいような情けないような!でも、現在私たちのように、手刻みや伝統的な構法で家づくりをやっていこうとする者にとっては、「何とかしてほしい」「以前のような、心地よい掛矢の音のする家づくりが、何とか普通に建てられるようにしてほしい」の、強い思いがあります。
 滋賀からは、宮内さんと二人が呼びかけ人になり、大工や設計者に参加を、フォーラムのツアーということで参加者を募りました。予定していた30人は、京都の金田さんと、三重の田上さん・池山さん、(3人とも木の家ネットの会員さん)そしてお弟子さん7人を含め、バスツアーに参加した人は31人。
 11日、PM9:00彦根駅スタート、PM11:00の御在所SPまで、3時間かけ参加者を集めながら、、いざ東京へ。
朝、築地につき朝食、オプションで、昨年見学に行った、新木場の鴨川商店に行きました。一本4億の欅は圧巻。
 早々に、新宿の工学院大学に着きました。席をとりあえず正面に構え、壇上の人の顔がよく見えるためです。ひょっとして居眠りが出ても、逆に丸見えです。
 5時間のフォーラムが始まりました。

 一番手は、現場報告ということで、埼玉の綾部さんが、わざわざフォーラムをやっていかないことには、伝統構法の家づくりが残っていかないのか、外来ばかりでは、やがて日本語も「もっと、日本語を話そうよ」という、フォーラムを開催しない限り残っていかないだろう。綾部さんは、木の家ネットの会員で、今立ち上がるNPO無印職人の会の会員でもあります。同じく、木の家ネットの会員の古川さん。40歳代までに2件家を建てたそうです。ハイテク住宅を追求し2×4工法で。結果、最良の家づくりは「木の家だ」と気づき、緑の列島ネットワーク・民家再生リサイクル協会など幅広く活躍される、熊本の設計家。杉は豆腐みたいなものだ。金物は要らない。は、有名なトーク。人工乾燥と伝統構法は合致しない。(以前、四国の六車棟梁もそう言っていた)
 大津で一度講演を受けた事のある、山辺さんから、伝統構法の粘り強さや、伝統構法を取り巻く状況について分かりやすく話がありました。う~~~ん、ちょっと寝てしまった。残念!
 このあと、大津の三和総合設計事務所、木工塾の代表岩波さんが進行司会をする、パネルディスカッション「これからどうなる、伝統構法」がありました。パネリストは、前段の3人と国交省の木造住宅振興室長の、越海さん。京都大学をこの春退官され、立命館大学グローバル・イノベーション研究機構教授、鈴木祥之さん。建築の法律をつくっていく立場にある、武蔵野工業大学工学部建築科教授、大橋さん。(先日、実大実験の件でお会いしました。)関東と関西のビッグが勢ぞろいだ。(そうです。)
 鈴木先生は、限界耐力計算法の応用マニュアルをまとめられた、(筋かいなしとか、土壁・差し鴨居などの耐力を、研究により実証し、計算できる工法としてまとめられた)。しかし、現在では昨年の6月の法改悪以来、ほとんど出来ないような状況が続いている。大橋先生は、噂では、金物ガチガチのメーカー寄りと聞いていました。が、意外と伝統構法に理解を示されているような、いい感じがしました。
 福田首相が200年住宅を言い出し、メーカーはこぞって、200年住宅をPRするようになりました。しかし、「伝統構法でしか、長寿命住宅はできないだろう」という事が、どうも分かってきたらしい。(いまさらって感じだ)室長も、何とか伝統工法を正当的に、残していかなければならないことの大切さを、おっしゃっていました。
 法律は、国民を守るためにあります。今回の基準法改正は、一見国民(建築主)を守っているかのようですが、守ったのは、ハウスメーカーのみ。地域で頑張る、大工設計者は、「もう、お前らいらない」と言わんばかりです。
 このフォーラムには全国から400人を超える、同じ思いの人が集まりました。一人の声はごく小さなものですが、集めれば、大河になり、うねりまでも起こすでしょう。私たちのできることを、しっかり見つめ行動したいと思います。
 根本セミナーにお招きした、松井郁夫さん、中越沖地震災害調査でお世話になった、長谷川順一さん、木の家ネットの仲間、情熱大陸のデェレクターの石谷さん、たくさんの方にお会いできた、東京行き。みなさんお世話になりました。

第246 2008.07.13
藤岡邸のキッチン
 私が昭和58年頃に新築の工事をさせて頂いた、草津市の藤岡さんの台所のリフォームが完成しました。
簡単に既成のキッチンの入れ替えと室内の模様替えなら簡単に終わってしまいますが、システムキッチンを木製の手作りで作らせてもらったため、時間がかかりました。引き出しなどの見栄掛りにならない部分は、杉材を使いましたが、その他はすべて紀州のヒノキを使いました。とても気持ちのいいキッチンに仕上がりました。
                 

第245 2008.07.07
はじめての、鮒ずし
 家族の中では、私とおじいさんとおばあさんだけが大好物な、ちょっと嫌われっぽいフナずし。
 いつかは自分でつけたいと思っていました。スーパーで買うと20cm程度のものが、2500円します。超高い食材です。友人の村川澄子さんに、手ほどきを受け、夢のフナずし付けが叶いました。
 昨日中にやっておくことは、5kgの、塩切りをしてあるフナ(これは買ったもの)にたっぷりとある、ジャキジャキノの塩を洗い落とし、新聞紙かなんかの上に置き、魚の水切りをしておきます。この新聞紙も、三回くらい買える必要があります。
 午前中に、ご飯三升をつくりうす塩をの味加減でまぶしておきます。(やや、塩の効いたおむすび程度の加減)扇風機の風で、冷ましておき埃が入らないように、布巾をかけておきます。
 夕方になり、塩切りのフナの腹の中にギッシリと塩加減のご飯を詰めます。
 プラスチックの桶に、ビニールの大きな袋を入れ、桶の底部分に、ご飯を敷き詰めます、厚さ3cmほど、底いっぱいになるように平たく。その上に、ご飯の入ったフナを、一重にヒレが重なるように並べます。並び終わったらご飯をかぶせていきます、平たく魚が見えない程度の厚さに。
 この事を何度か繰り返し、魚が無くなるまでやります。そのときには、一切水は使わないことです。途中で手を洗ってもタオルで拭きます。その変わり、焼酎を使います。手水と繰り返し重ねたご飯の上に軽くかけます。発酵を促すためだそうです。フナ5kg・ご飯3升に対し450ccの焼酎です。
 敷き終わったら、ビニール袋をできるだけ空気を抜き閉じます。
 荒縄を三本、長さ2M準備し、平たく編んでいきます。ビニールの袋の上の周りの方にグルッと回して弾きます。この縄は、発酵したとき、上の重しが傾いたりしないように、平均に重さが伝わるようにするためだそうです。
 重石は重い方が良い。
 全体を大きな丈夫なビニールの袋で覆います、風だ飛ばないように、雨水が入らないようにしっかり養生をします。
 家の軒先に置いて完了です。

第244 2008.07.07

住まいnet滋賀ーVOL6
 2008・7月号 住まいnet滋賀に、自邸が紹介されました。
 一冊、500円です。皆さん買ってみてください!

第243 2008.06.29

彦根工業高校出前講座2008
 5月12日から、6月16日の間の4日間、母校での出前講座がありました。いずれも3時間の木工の実習です。
 いつの間にか、3級技能検定が受験できるための、実践実習。滋賀県クラフトマン21事業の一環です。
 昨年度終了まじか、2日間息子と二人で、ほぞとほぞ穴の作り方、道具の使い方の自習をしました。これでも「あーや、こーや」の連続で難儀だったのに、「何だって!検定試験?」。冗談やめてよ!!!
 初日は、墨付け・基準の取り方をやりました。2日目から加工に入りました。早い子は完成まで仕上げました。3日目も同じように、加工と最後まで仕上げるという目標を持って取り組みました。
4日目は、制限時間内に、墨付けから完成までの手順を、どのくらい理解できているか、試験的に行いました。中には真面目にコツコツと取り組め、時間内に完成という子もいました。ただ、形にはなってはいるものの、基準の取り方や墨付けには、形になっていればよいという、無神経さも見受けられました。
 この中から、一人でも検定を受け合格できれば私も、させて頂いたかいがあるというもの。是非、頑張って挑戦してください。

第242 2008.06.17
西澤工務店にて
 15日、大津の岩波さんのお誘いと、彦根の西澤工務店の西澤政男棟梁のお誘いを受け、この日大津の宮内君と事務所に伺った。事務所には、武蔵野工業大学教授・工学博士である、大橋教授・日本住宅木材技術センターの永田企画技術部長と平岡さん・大橋教授の研究室の研究生、堀川さん・京都大学、次世代開拓研究ユニット、工学博士、向坊さん・少し遅れて大阪の大工、鳥羽瀬さん。最たる面々。「そっちは博士なら、こっちは大工棟梁だ。」
 さて、何をしに行ったのでしょう。
 昨年法改正以来、限界耐力計算法での、建築確認が下しにくくなっている。一方金物ガチガチのベニヤべたべたな、家のメーカーハウスなんかは、簡単になってきているかのようだ。「世の中には、地域の大工がつくる家は、もう、いらないのだ。」的雰囲気だ。福田首相が200年住宅を打ち出し、工業製品的住宅産業は売り出す家に、ここぞとばかりキャッチフレーズに持ちいった。「嘘ばっかりだ。」ベニヤとか、プレカットは長寿命なわけがない。ユーザーは思いっきり、騙されていることに気がつかない。バカみたいな話。
 国土交通省も、「これではいかん!」気が付き、長寿命住宅と言い方を変えていく。でも、「まだ、これでもいかん!」地域に残る家づくりが、守り残っていかないことに懸念を示していく。現状を打開べきと、室長はじめ、国交相も法改正を含め柔軟な対応が急務となってきた。
 そこで、今年の秋、兵庫県三木市E-ディフェンスで、関東の仕様は?関西の仕様は?の伝統的な家のつくりを、振動実験しようとなりました。国交省の国家プロジェクトでそうです。2棟同時に足元フリー、そして、足元固定で、検証します。
 関西の仕様はどうなのか?と言う相談が西澤さんの事務所であったわけです。
 簡単には決まってはいかないようですが、関西は差し鴨居と土壁が基本です。
 少しでも力になれたらいいし、伝統構法がまっとうに評価されてくる日を、そして、家づくりがまっとうによみがえる日が来ることを願っています。皆さん、応援してください。

第241 2008.06.17
高橋邸地鎮祭
 6月7日、梅雨に入ったものの、合間と言うのか良いお天気になりました。
 彦根稲枝(彦富町)で4年ほど以前から、新築の話があった、高橋さんの新築工事。40坪の平屋建て、敷地もかなり広く、大きな道路に面したとてもいいところです。
 国産材100%軸組みは地域材がほとんどです。このことは、高橋さんも「外材は使わんといてくれ」と言う思いも、私の思いと合致。平屋だし石場建てにしたいのですが、法改正後、確認もなかなか降りそうもないということで、あえなく筋かい入りの建物になってしまいました。HD金物もたくさん入ります。なぜなんでしょう。計算すれば金物がたくさん入ってしまうのでしょうか?
 この建物は、息子の晃久が墨付けをします。慎重に。がんばれ!

第240 2008.05.22

根本セミナー VOL50
 淡海里の家事業協同組合が設立して4年目に入ります。地域材の活用と、地場の職人たちが元気に働けるような、地産地消のしくみづくり。社会の思想の中では追い風ですが、現実には大きな逆風!
 組合設立以前から、開催されていた「根本から見つめなおして、ちゃんとした家をつくる。」連続セミナー、これは2003年12月に始まり、現在、初級14回・連続集中4回・特別1回・そして一般が50回と回を重ねました。これを記念し今回記念セミナーを開催しました。5月の行楽シーズンにもかかわらず、定員80人に対して79人の参加を集めました。村山さんの計らいもあって愛東マーガレットステーションのラベンダー室と言う、素敵な研修室(パーティもできる)。
 12時からは組合の総会があり、2時からのスタート。
 1部は、金沢工業大学の鈴木有先生の、「伝統民家は大地震にどのように備えてきたか?」2部は、川村晃久(息子)の「大工が見た新潟中越沖地震被害報告」先生の解説もありました。私の少しばかりのまとめも。3部は、「研究者が見た能登半島沖被害報告」を先生が。4部は、「E-ディフェンスでの実大実験を読み解く」を、貴重な映像を見ながらの先生の解説。5部は、「報告を受けて!」と題して、風土木の家としてふさわしい、古民家再生の西川さん・風土木の家として、認定してある横田さん・谷さん。建築する側として、設計の笠原さん・大工の川村(私)がパネラーになり、東近江地域振興局の山口さんが、コーデェネーター。うまく、伝統的な構造の家づくりから、地域材まで話がつながった。
 4時間の予定が30分延長しました。この間、長谷川林材の角さんの奥さんの手作りのケーキを休憩に頂きながら
、とても充実したセミナーでした。

 どうも、石場たては理にかなった、良い構造であるというのが、変にまとまったような!
 これからも、根本セミナーを育ててください。

第239 2008.05.11

ペチカを訪ねて
 五月八日、兼ねてよりマックスウッドの回渕さんより、お誘いを受けていた、「ペチカを見に行こうよ。」の話が実現した。この日は早朝から、長野県伊那市へ、設計士・大工・左官ら8人が向かった。
 私たちを迎えてくれたのは、[農園と木の家づくり]をテーマにする、アトリエARKの竹内恵子さん。と、ペチカのある家を建てられた、住人のご夫婦。南東には南アルプスが峰を連ね、少し小高くなっているこの土地は、南東から光や風がそよぎ、風景や環境も良く、あたりは一面には畑が広がっていました。ご主人も有機農法で畑などをされているとか。
 この地方は唐松が多く、地域材を活用した住みやすそうな家づくりが感じられました。在来工法で落とし板が施されていました。加工などは、正直良くわからない感じでした。
 中央に、赤レンガのペチカがありました。この地方は、山からの季節風でとても寒く、寒い日はマイナス17度になるそうです。でもペチカのおかげで、室温は30度近くになるとか!内外の差がとても大きいのには驚きました。空気の回ってゆく工夫もありました。ペチカは薪ストーブに比べ、熱効率が非常に高いとか。

 回渕さんは、滋賀にもペチカを!!!という事で、研究を重ねておられます。
 工事中の現場や製材所にも見学に行きました。
 最後に訪れた有賀建具店は、国産材の広葉樹を100種類以上、そしてたくさんのストック。これには「まいった!」
滋賀には、これだけの広葉樹をストックしている店は無いでしょう。建具やさんでありながら、オリジナルの家具を製作販売もされている。私にはとても魅力的な建具やさんでした。
 ペチカのある家にも、トイレの建具に30種類の材料が使われてあり、木の持っている本来の色がきれいに組み合わされてありました。見習うべきことですね。

第238 2008.05.09
嵯峨野にて
嵯峨野の竹林 大河内山荘
 ゴールデンウィークの五月三日、何年かぶりに嵯峨野の竹林を訪ねた。
 ガソリンもえらく高くなったし、京都嵐山といえば、観光シーズン真っ只中。電車の限る。自宅から一時間ほどで、こんな素敵な場所があるなんて、だ。家内は竹林の青さと伸び行くすがすがしさ。そして、渡月橋を渡るのではなく、下から見上げること。私は、、上の写真の大河内山荘を、のんびり見ることだ。この建物は何度見ても飽きない、すばらしい建物だ。
 何度目だろう。7・8回来ているかも!私の好きな建物だ。小さくて線が細くて清楚。一度はこんな工事がやってみたい。

第237 2008.04.30

先人達の、硬くつくるための工夫
 
  (定義)みたいなもの、「石場建ては良い」の意見。
 私の意見はこうです。
 伝統構法は、コンクリートの基礎には固定していない、地震時には浮き上がったり、ずれたりするのが基本。アンカー固定してあるのは伝統構法とはいえないでしょう。
 また、石場建てなら伝統構法か?
 古民家には、足固めがすべて入っているわけでもなく、ほとんどが、いい加減な大引きが床の下地として、構造とはまったく意味のなさないものがあります。しっかりした建物になればやはり、太い目の角材が足元に足固めとして組まれています。同じように、内法には平角の指物が組まれています。開口が無いときには耐力を取るため大貫による、土壁仕様の構造壁があります。薄かもいや、単なる雑壁ではありません。柱も五寸以上あります。
 
 先人たちは、家を丈夫につくるために多面な工夫があったようです。
 社寺にも見られる(さす)のように、斜材を用いることによって、より硬くつくることは知っていました。筋交いも同じように、先人たちは知っていたのです。しかし、筋交いを用いることは、外壁や内装が地震らの外力によって、壊れてしまうことも同時に知っていたのです。地震国日本で、「潰れてしまわない建物をいかにつくっていくのか」が、永遠のテーマであり、先人たちは、斜材を選択せず、水平材と土壁を選択してきました。
 薄貫から厚貫、三段からそれ以上、楔の形。折置き組みの選択。など。先人達が、コンクリートが無く金物が現代のように十分でない時代、硬くつくるための工夫が、大貫工法土壁塗り。究極の技術だったといえるでしょう。そして技術への挑戦だったと思います。
 その成果が、各地で伝統的な町並みを残し、歴史を感じ、人々は癒されるのでしょう。家づくりは、そこに学ぶべきでしょう。
 
 自宅の石場建てがHPなどで流れると、「私も、私も。」と東京、大阪、名古屋、静岡から問い合わせが十数件ありました。地震に敏感なのはわかるけれど、あまりにも足場建ては安全と勘違いしすぎているように思います。石場建てには、それ+足固めとかいろんな要素が満足に施されてのことだと確信しています。現代の設計のみの、現場や大工仕事のわかっていない設計者には「伝統構法」の言葉の定義を語るのはずいぶん無理があるかもしれません。(すべてとは言いません)定義について、地方により少しずつ、意見の違いはあっても、伝統構法の守るべくルールみたいなものは必ずあるはずです。(私は、前段の内容はクリアーしてこそだと考えます。)それだけ値打ちがあり、ハードルは高いはず!
 
 それ以外は、とりあえず伝統的構法というべきでしょう。(もちろん筋交いは無しですよ。)若手大工さん、、(自称)日本の家づくりを託されている大工さん、さて、どうしましょうか?
 
 E-ディフェンスの実験では、耐力壁が大きく偏心させてあったため、大きく移動し、又大きく戻るという、挙動が見られましたが、バランスのいい耐力壁があり、荷重に取る押さえ込みがあれば、あまり移動しないのでは?と、思います。移動したとき、踏みはずしが起こらないように、たとえば、地面からの、石の天端は一寸までとしたほうが賢明でしょうね。そして、広めの石。二尺角程度。ひかりつけはやらない。柱の小口は移動止めの施工はやらない。小口は丸面にして大きい目。柱は管柱。5寸角以上。など、この程度なら試験体としての仕様は決めてかかれますね。
 
 「なぜ、そんなことするんですか?」みたいな話ししたいですね。もうすでにやっていたら、仲間に入れてください。大工って熱いよね!
 滋賀はけっこういけてますよ!
 
 

第236 2008.04.18
畑しだれ桜
 朝起きるととても良い天気だ。今日を逃すと今年の花見は皆無だなー。
 「おい!畑しだれ桜を見に行こう。」と思い立ち、思い切って、信楽を目指した。
 約一時間ほど走り案内看板を見ながら、山の方へ入る。四方を山に囲まれた畑地域は、新緑を迎える里山の木々から、薄い黄緑色の色彩を放すかのように、見学者たちを迎えてくれた。左手の方に小高い部分が見え、その上には、まさにピンク色のドレスを着たかのような、広がりのある大きな木が見えてくる。少し遠めにも良くわかる。「これが、畑しだれ桜だ!」と、少し感動する。車を置き、歩いて木に向かう。カメラを片手に何人かの、見学者がパシャ・パシャとシャッターを切る。シャッターの音のしない最近のデジカメでは、知らず知らずに写真の枚数を重ね、その枚数が、桜への感動の大きさと比例している。そんな自分に気がつく。
 樹齢四百年とも言われている、このしだれ桜、地域の人たちの懸命な世話があって、今日の立派な姿があるのでしょう。一年を通して、満開のそしてお天気の良い日に、見学に来れたことに、幸せな思いがしました。

第235 2008.04.18
平成の鋏梁構法
                    
 今年は桜が咲いたかと思うと花嵐。言葉に風情はありますが、「ちょっとまって」花見できないじゃないですか。小忙しく働く職人たちを思って、散らないでください。と思いながら、4月13日(日)高速を飛ばしながら、森君と晃久・剛士と一緒に、友人の宮内君のところへ、上棟のお手伝いに行った。
 大津市の少しは以前の民家が建っていて、面影をしのぶことが出来、駅にもすごく近く便利の良い旧住宅街。そんな一角に、ひときわ「これぞ!木の家!」が唐木建ちし、世間にアピールしていました。
 彼が、「甲賀森と水の会」のスタッフと取り組んでいる、水中乾燥で、時間をかけゆったりと乾燥を進め仕上げた、色艶の整った、割れも少なく彼の自慢の、甲賀さんの杉材、四寸角がほとんどで、落とし板まで甲賀産の水中乾燥材。20坪少しの大きさなのに、込み栓2000本使用という、けた外れ。組み方は、石場たての工法で、柱を立て、挟み込むように同じ四寸角の梁材を、雇いホゾと言う部材で組んでいく、妻・桁方向に交互に二段づつ重ねて組んでいく。とにかく四寸角オンリー。よく考えられている。仕口はシンプルに。軸組みもシンプルに。

 お昼、サプライズがあった。嘉田知事が偶然訪れました。「この木は何の気ですか?」の話しかけから、宮内トークが始まりました。情熱大陸の密着取材もあったため、なんとなく知事との、環境・地域材・琵琶湖についての、熱い意見交換。知事の「できるか、できないか」と言うより、自ら「やるのか、やらないのか」の、感動する言葉。山や森林・琵琶湖のこと、CO2のこと。国民は誰もがわかっていることです。しかし、本当にやっていこうとする人たちはほんのわずかです。大半は世間の経済性や快楽性に甘んじてしまいます。この言葉に等しく、宮内君は、考えたこと良し!と思ったこと、「自分がやらなきゃ、誰がやる。皆ついて来い!」のような、強い行動力がありました。その精神に感服です。平成の棟梁と呼ばれるよう、これからも頑張ってください。
 滋賀が、日本に誇れる家づくりができますように。大工よ!立ち上がれ!
右から、私・宮内君・嘉田知事・お施主さん森君・左が晃久

第234 2008.04.10
永瀬邸完成見学会
お施主さんとマックスウッド・回渕さん 滋賀らしい環境こだわり住宅の旗も 見学者に説明をするスタッフ 48回根本セミナーでの勉強会
 3月29・30日の二日間、野洲にて完成見学会を開催させていただきました。二日目は後半に雨に打たれましたが、延べ230人の大盛況に私たちは驚きながら、終了することが出来ました。
 お施主さんとは、我が家の完成見学会に(昨年3月31日)訪れ、初めてお出会いさせていただきました。新幹線とタクシーを乗り継ぎ、交通の不便な我が家に来てくださいました。以来打ち合わせを重ね、9月の地鎮祭・11月26日上棟・土壁を年内に終え、桜のつぼみもまだ固い、3月末完成しました。
 周りは、900戸という大団地で、新しいメーカーの住宅・木造のしっかりしたいかにも「大工が建てたぞ」という立派な家・もう立替が必要な古いメーカー住宅など、いろんな住宅が建て並び、ひょっとすれば、この家のような本格的な伝統構法の家は、町並みに合わないかもしれない。幸いにも南面は公園というオープンな位置なので、町並みに考慮しなくても「この家のような、町並みを作っていこうよ!」みたいな、なぜか新しく懐かしく、皆が求めているような、提案型の素敵な(自分で言うのもなんだが)家が完成した。工事をさせていただいた自分の胸の中にも、スーーと入っていく、ごく自然で職人の誇り見たいな物を感じました。
 見学会も回を重ねるうちに、若い弟子たちや、この工事を最後までやり遂げ、主任として頑張った晃久・河原はとくに、大工をして「よかった!」みたいな感動が、見学者の方に説明する言葉の中に、発していたように思いました。この子らも成長したな!

 外観は、極力アルミサッシを隠せるよう、面格子や木製の雨戸を施しました。外観は派手でなく、町並みに対してあまり主張しなく、そして伝統的な飽きの来ない色合いと、切妻と言う勾配屋根。日本瓦の持つ落ち着いた風合い。建物は出来るだけ低く。
 内装は、自然素材と安心できる堂々とした軸組み。しかも国産材、滋賀県産材は永源寺・多賀・甲賀など多様。木組みの魅力を感じ、格子壁やオーダーメードの家具で柔らかい表情を作ることを心がけた。

 近所の方は90人近く見えられ、関心の高さを示した。団地の近所の方は年配の方が多く、作り手の私たちは20歳代と若く年の差はあるが、工事中本当によく声をかけていただいたり、近所からお菓子を頂いたりし、良くしてもらいました。工事が終わりに近ずくにつれ、「もう完成やな」とか「うちも家直す時、声かけるで来てな!」とか「これからも、頑張っていい家つくってな」とか、励まされたり。

 今回の見学会は、、県産材を使って家づくりをやろうとする、湖国町づくり推進協議会の後援も頂きました。
 また、湖東地域材循環システム検討会の、地域材を使った家づくりの事例を見学しようと言う、学習会の場にもなりました。多くの方の目に、地域材・伝統構法と言うキーワードがどのように写ったのでしょう。お施主さんの良き理解があっての家づくりと完成見学会、大変お世話になりました。

第233 2008.04.04
12男登場
 この春ポリテクを卒業した、大森誠也くん。日野町駒月。家業が大工で3男坊。
 ポリテクの定成先生の依頼で昨年より採用が決まっていた。メーカーの作る家じゃなく、工業製品として金物で縛り付ける寸法あわせの、誰でも組み立てが簡単に出来るプレカット工法。そんなもんじゃない家づくりを!大森君のお父さんも望んでいるらしい。伝統的な工法や、手刻みにこだわり、頑なに「大工という仕事を誇りに思うそんなお父さんです。
 仕事の量もだんだん下降気味だから採用も難しいのですが、一人でも沢山の子供たちに大工のすばらしさを伝えて生きたい。

 「メーカーや、工業製品の家じゃダメだ。」「やっぱり日本の家づくりだ」の時代が来たとき、作れる大工がいなきゃ話にならんじゃないか。

第232 2008.04.03
貫工法の実験
大貫 1/15rag
大貫と筋交い併用 大貫と筋交い併用1/15
rag
 3月はじめ鈴木先生(金沢工業大学名誉教授)からメールがありました。
 近江八幡のポリテクに、構造実験措置が導入されると言う情報。設置し試運転のための軸組みがいるとのこと。「木工塾」(塾代表 三和総合設計、岩波正 )でつくってみては!との事で、早速「作らせてくれないか」との、意思表示をした。できれば、いつもやっている、大貫工法(先生も、大貫工法推薦だ。)と、大貫と筋交いの併用。
 ポリテク出身の、弟子の河原に製作をさせた。
 28日、試験体を運ぶ。大津の宮内君も同行だ。本当は、セットだけで帰る予定だった。(翌日が見学会な為)、ポリテクノ定成先生の指導の下、各部材の含水率を計測した。20%前後のいい状態だったので、「本試験をやろう」と言うことになり、「見なきゃ、何にもならん。」足止めを食った。

 試験体は、柱間2スパン1820mm。土台芯から桁芯2730mm(基準的に決まっているらしい)。大貫は、120mm×30mm 三段、いつもの平行楔。1・200ragから1/15ragまで、決められた変形角になるように、左に突いては、右に引っ張る加力を3往復ずつ繰り返す。1/120ragの時の(高さ2730mmに対して、約23mmの変形)加力で、壁倍率が決定する。実験では0、7は可能だが、安全率を考慮し0、5は、数値として可能だ。しかし、乾式の貫壁はなんの耐力も与えられていない。(法的に)1/15ragの時、変形は182mm。しかし、よく粘る。躯体の損傷は見られない、楔のめり込みによって、吸収しているのだろう。(写真右)
 大貫と筋交いの(90mm×40mm)併用。筋交いは柱脚・柱頭は金物固定。圧縮がかかった時、大きく湾曲し1/15ragの時、大きく割烈を起こした。(右の写真)1/120ragでも、反ってくるため、内装材や外装材は、外れていくに違いないと思った。金物の釘は抜けていた。
 大地震から、家自身(躯体)を守るために、大貫工法をいつも採用している。これは命を守ってくれる、命綱という機能をつけるために。
 昔の伝統的な建物や文化財などは、材料が太い・大きいのは勿論だが、大貫をはじめ水平材が非常に多い事がわかる。地震国日本の特異な環境には、斜め材より水平材の方が、柔らかく外力を吸収すると言うこと。補修やメンテナンスが容易だという事を、先人たちは知っていた。平成の大工も、現代の工業製品工法に流されず、先人にも勝る、粘り強く頭のいい大工でいこう!
 

第231 2008.03.29
五意達者
 23日、木工塾の職人部会の定例会がありました。神戸竹中工務店の竹中大工道具館でも講師として活躍されている、麓さん(名古屋工業大学大学院教授)にこんな話を聞きました。
 大工棟梁と言われる人は、どんなことに卓越し、日夜励むべきこととは何か?どんな技術なのか?
 以下のことを、五意達者と言う。

1、 式尺ノ墨曲  とは、現在でいうプラン・アプローチ・伽藍のような建物の配置と言った平面計画。柱間寸法や垂木などから検討された木割り(グリッド)これは、断面やカナバカリ図。そして、実際に墨付けをし加工できるようにすること。
2、 算合(積算) とは、見積もりのこと。木材がどのような寸法でどれくらいの材積いるのか、金額は。と言ったように、すべての職種に関し、材料の大きさ・量・加工する労務費・運送代。それに関するお金、いくらかかるのか。
3、 手仕事 加工する技術、大工仕事なら削ったり・穴を掘ったりと言った、納める仕事が出来るか。水平や垂直が正確に出せるのか。継ぎ手や仕口や理解でき作れるといった実践的な技術。
4、 絵様 蛙又・虹梁・木鼻のデザイン。絵が描ける。彫り物の下絵。
5、 彫り物 4が彫り物として出来る。彫刻の技術。

 以上の技術を持ってこそ、棟梁と呼ばれる。らしい!
 さて、現在このような五意達者を体得した人がいるのかな?私の周りにはまったく見当たらない。今に残る古建築を目にした時、、姿もきれいで飽きの来ないなんとなく癒されてしまう。昔の棟梁と呼ばれる人は、どれだけの才能を持ち合わせていたのだろう。オールマイティーな先人、現在の建築や職人を草葉の陰から見て、どれだけ情けなく感じているのだろうか。
 工業製品が溢れ帰り、ものづくりへの洞察力・研究心・冒険するフロンティヤな精神がなくなってしまったが、人を包む空間には、職人たちの心が感じられることこそが、もっとも大切だと思う。
 もう一度、大工と言う原点に立ち返った、良い講演会でした。

第230 2008.03.21
ディズ二ーシーに行って来たよ
              
横浜中華街にて
 18年前に、今在家の有志が集まり、町づくりを目指し、ガッツ!!友・悠・遊と言うサークルが立ち上がった。一年を通じイベントやミニコミ誌・花壇の整備など多彩な活動をやってきたが、近年は私自身も自治会のことや私用でなかなか参加も出来ず、仲間には迷惑をかけっぱなしなのが現状です。
 昨年秋、サークルの役員さんたちのアイデアで、皆でディズニーに行こうと決まった。

 当日とても良い天気に恵まれた。
 夜10時に出発した。超デラックスな新型のバス。ゆったりとバスに構えるのは七家族23人。車中眠れそうで眠れない。コクンコクンとしたかな?と思いきや、早朝5時。空はうっすらと明るく町は活気に満ちていた。着いたところは築地市場。テレビなどで紹介されるたび、一度入ってみたいと思っていた。つい先日も何かの番組で紹介されていた。
 築地に来たなら「これだ!。」海鮮丼。朝飯から海鮮丼なんて贅沢ですね。私は、一度は、ガッツイて見たかった海栗丼を注文。ご飯の上に載ったいっぱいの海栗、食べるのがもったいないくらいだ。(こんな風に思うと、いつも田舎もんやなー。と自分を感じる)「う・ま・いーーー!!!」この後、テリー伊藤の実家の卵焼きさんにも行った。(関東は甘口?)旅の期待や楽しさも手伝ってうまかった。
 
 ディズニーの魅力ってなんだろう?
 ディズニーランドへは子供たちが小さかったころ、たくさんの荷物に、ぼしたり抱っこしたりで行ったことがある。多くの人はそういう経験があるに違いない。こんなに疲れるのに、こんなにもお金がかかるのに、にもかかわらずたくさんのファンをつくっていく。リピーターが多い。ディズニーのキャラクターのミッキーマウス・ミニーちゃんなど、かわいいキャラクターが作り出す、エンターテーメント。「かわいいー」の声が周りから飛び交う。つくりもののファンタジックな町並み、異国のような、タイムスリップさせるような世界。色彩や形、光と水、音と動き、何一つとっても手を抜かず、訪れる皆を魅了し飽きささない。ここには若い人も年配の人も、列を成して集まる。迎えるスタッフも笑顔と、ハキハキした接客。ファンタジーな夢を大いに与えてくれる。
 私たちの仕事にも活かせるヒントが何かありそうだ。魅力のある工務店。夢のある家づくり。誇りが感じられる大工仕事・職人としてのプライド。なんだかディズニーワールドは、答えをくれたような気がした。

 翌日は、フジテレビと横浜ベイブリッジを通り、横浜中華街に行く。ここにも中華と言う食と、町の持つ魅力に人々の心を釘付けにしている。
 楽しかった、そして改めて勉強にもなった、ディズニーワールドへの旅行、企画してくださったガッツ!!友・悠・遊の役員さんに感謝したい。

第230 2008.03.21

薪割り機
 2シーズン目になる、年末年始のストーブ用の薪つくり。近所の堀江さんに分けて頂いた原木、こならの原木5t分。
今回も気合を入れて作業をした。玉きりは昨年10月に終え、年末は、2日間正月に2日間程度、もくもくと割りに割った。斧片手にというより、大きな楔と大ハンマーそしてせっとう(石を割るハンマー)。頑張ってやるのはいいのだが、直径60cmもあれば、、ハンマーを振りかざす回数は120回を越える。(まきの数は25本ほど出来るのだがこれは、薪割りを楽しむ世界から、大きな苦痛に変わりつつある。4日も、根をつめて作業をすると、もう少しといったところで、鉄の塊の楔が顔をめがけて飛んできた。少し目尻が切れた。足にも水平に飛んできて、靴が破れた。
 昨年は4tの薪つくりに挑戦したが、今年は5tだ。
 マックスウッドの回渕さんに相談をし、薪割り機を進められ購入してしまった。大割りした薪は、2年乾燥させるのが良いとのこと。今度は10tの原木を堀江さんに注文した。こならの混じりケアキや雑木混じりだ。
 ケアキは、斧では割れないことが解った。こなら以外は、薪のような割れたキレイさが木に残らなく、ちぎっているようになる。いい感じとはとてもいえない。こならは、薪にするなら最高だ。
 気持ちよく割れる薪割りの風景を皆さんに、見ていただきます。(下の写真)

第229 2008.03.20

合板の宿命
 3月に入り、赤佐邸の改修工事に取りかかった。
 私が大工の世界に入ったころは、工業製品であるベニヤ・合板などが、「これでもか」状態のように普及していった時代だ。言い換えれば無垢のものより、目の通った色艶が安定した、きれいに見えるものが「良い」とされてきた。もっと言い換えれば、工業製品のほうが寸法も安定しクレームも無く施工もしやすく早くでき、また、その加工が楽なように、大工の道具である、のこ・カンナに変わる電動工具が、どんどん進化していった。
 その時代の建物の内装を含め、改築工事があるのだが、解体をしてみると、シロアリは当たり前のように発生しているし、フローリングも何層かにはがれている。床下が湿っているからだというわけでもなく、そのようなことになっているのは、工業製品の宿命なんだ。と、強く感じる。古い民家を改修したときも同じだった。無垢の板も腐って入るものの、部分的だ。建材はすべてが、痛んでいた。接着剤そのものの寿命なのか?
 東南アジアなどから運んできた、当時のラワン材。輸入を美徳としたが、そのつけは環境破壊と、木材の低寿命化だ。仮に、80年性の木材を工業製品にすることにより、その寿命は20年そこそこ、これが現在の家づくりの寿命にも繋がっているのだ。一方、製材をし床板や腰板など、木そのものの常態で使ってみると、100年、いや、それ以上の寿命を与えることになる。
 以上のようなことを考えてみると、人間はいったい何を求めているのだろうか疑問になってくる。
 プレカット工法で使う集製材の柱や梁の構造材、ツーバイホー工法の構造用合板、加えてその材料は、現在北欧産が主流だ。家を長く使い続けるためにも、住み続けるためにも、外材や合板など、出来る限り避けたいものだ。

第228 2008.03.04
アニキという響き
 2月21日、会社に出勤した弟は、しばらくして机に座ったまま倒れこんでしまった。救急車で病院に運び込まれた。
 野洲の現場にいた私に妻から電話が入った。「意識もあり、軽そうだから急いで帰ってこなくてもいい。」ということでベッドに横たわる弟に会ったのは、仕事から帰ってから。私の家の隣の湖東記念病院だ。脳外科・循環器では、特に「良い」とした病院だ。安心だ。診断は脳梗塞。当時は左半身足や手・顔までもが麻痺しているようだ。
 脳梗塞は、発症から3時間が勝負、3時間以内の処置なら、後の後遺症などがあまり残らないとか。命への影響も無いということだ。現在では、処置の対応と医療技術、加えて医師の技術の進歩のおかげで、すでにリハビリに取り組んでいる。車椅子への乗り降りも何とか自力で行えるようだ。仕事が気になって仕方が無いようだ。

 私には、「カツミ!」といって起こったり心配したりする、両親や親戚の叔父や叔母がいる。そして姉がいる。「勝美さん!」と呼ぶ妻がいる。「とうさん!」と呼ぶ4人の息子が、色々と注文をつける。「親方!」といって尋ねたり、物事を聞いたりする。「棟梁!」という、気持ちのいい言葉で呼んでくれる人もたまには存在する。「かっちゃん」といって、心安く声をかけてくれる、近所の叔父さん叔母さん。「勝美君」という青春時代を思い出す、同級生の女の人。いろんな呼びかけに「はい」とか「何」とか「おー」とかさまざまに答え、人と人との距離感を感じる。でも、「アニキ」と何気なく呼んでくれるのは、たった一人の弟しかいない。弟はアニキになれないのだから仕方の無いこと。とてもいい響きだ。
 こんな弟が倒れてしまっては一大事だ。容態は回復する方向で安心はしているのだが、幼少時から気ままに育っているお前に言いたい。両親にあまり心配をかけるな。両親は、お前と俺が、最後まで面倒を見なくちゃいけないんだ。心しておけ!
 

第227 2008.03.03
超、現代家相の基礎知識
 3月2日、近江八幡のG・ネット滋賀にて、根本セミナーの47回目が開催された。
 昨年、8月に開催され少しバージョンアップされて、2回目です。今回も、松宮貢さん(松宮貢設計事務所 代表)にお世話になりました。特に家相にこだわった平面プランを進めているというわけではなく、お施主さんから家相について、色々相談を受けるため、「家相てなんだろう」「家相って本当にあるのだろうか?」と、疑問を持ち、調べ研究したそうです。最近は、家相に加え風水までもが家づくりに関して言われるようになってきたとか!。
 さて、話は風水から始まった。
 気の流れを見ていくことが風水の始まりで、大地を流れる気のエネルギーは、人間に大きな影響を与えると考えられている。気の道を「龍脈」気の集まるところが「龍穴」と呼ぶそうだ。もともと、風水は、家には当てはめなく、大きな
都市計画で用いられたそうです。古都京都の町づくり・東京の町づくりを例に取り、説明してくれた。方角で言えば、北に山・南に広々と広がる平野・東に大河・西に大道。私流に考えてみると、山の幸や平野から取れる米や野菜、南にあるほうがいい。河から魚や海の幸、いかだで木材が輸送されることで、都や人々の住む家が建っていく。大道は、物資の輸送や人々の交流が進む。しかし、それが方角とどのようにかかわっていくのかというと、はっきりと解るものではない。
 風水は、中国や香港では、「風水あるべき」だそうでが、私たち日本ではどうなのか?
 家相においても、鬼門・裏鬼門など気にしてやまないのだが、中国から入ってきた習いみたいなものだ。でも、否定はまったくしていない(私も)。日本人の文化的、精神的なものが、家を持とうとする人々に作用しているのだから。肯定もしないが、鬼門などのことは少しは認めている方が、物の判断の上ではいいのかもしれない。ちなみに、私の家も、家相は一応に見ました。
 過去に、カトリックの日本人の家を新築したことがあります。鬼門にトイレ・裏鬼門に玄関と、一般的には家相上嫌うのですが、聞いてみると「私には、まったく関係ないですよ」の答え。
 
 今回のセミナーは、参加者も少なく残念に終わりましたが、話の中身は、驚きと発見が交差し、家相や風水がまんざら適当でもなく、科学的にも証明されていることが解りとても参考になりました。
 聞くという時間、耳を傾けるという姿勢、これからも大切にしていきたいです。

第226 2008.02.19
 バレンタインの思い出
 いつごろから2月14日を、バレンタインデーして、女性から男性へチョコレートを送り、それが「好きです」とか、「愛しています」と、いった愛情表現を自由にしてもいいようになったのか。
 私は、中学校では意識も無かったし、高校も男子校で、かつ、定時制だったため、まったく縁が無かった。しかし、20歳ごろには、本命チョコと称する、チョコレートを何個かもらった。もちろん手づくりなんてものは無かったけど。当時は結構もてたほうかも?
 ある年、何人かにチョコレートをもらった年があり、「あなたは、たくさんチョコをもらうだろうから、!と言って、バレンタインのプレゼントにもらったのが、包装紙に包まれた小さな箱でした。楽しみに包み紙をほどくと、中から出てきたのは、歯磨き粉と歯ブラシのセットだった。「歯ブラシなんて、何本もあるのに!」と思いきや、なかなか面白い発想だ、と感じました。27・8年前のことです。こんなバカっぽいアイデアの持ち主、それが私の女房です。
 一度、ラジオの近畿放送に投稿し、大うけしたのを覚えています。
 今は、義理チョコをもらえる人も無く、女房もアルファベットチョコがお徳用と言うことで、仕事の休憩のお菓子の缶に、どさっと溢れるように入り、なんとも風情の無いこと。しかり。
 息子4人も、あまり女性には縁が遠そうなのか、チョコのかけらも「これ、食べへんか?」という、会話も無く少し寂しいです。

第225 2008.02.05

初任給は両親へ
 2月1日・2日、何年かぶりに北陸の山代温泉に行きました。
 実は、2006年春、二男高基が大阪の専門学校を卒業し、下宿生活も終わり、近江八幡の某企業へ就職。
 やれやれ、働いてくれるようになり、少しは楽に。就職する以前から、家内が「働いて始めての給料は、育ててくれたお礼に親に渡して初めての親孝行をするのやで。」「初任給は両親に。」「二回目は(二ヶ月目)家族のために。」「3ヶ月目からが、自分のために。」と言っていてので、驚いた事に、高基は、初任給の中から、4万円「温泉にでも行ってき!と、プレゼントしてくれた。
 なんと、やさしい子なのか。誰の子や?「わしや、わしの子や」、、、。しかし貰ったものの、なかなか使えず!「温泉に行かへんのやったら、意味無いやん!」「温泉に行って欲しいから渡したのや!」
 以来、家内は、ちんちこにぎり(近州弁で、ぎゅっと、使いもせず握っている事)。
 今年は、毎年のように忙しくも無いので、高基との約束を果たそう!と思い、家内と二人、山代温泉まで行きました。新婚旅行以来の二人だけの旅。26年ぶりだ。

 いつもなら、山代もシーズンという事で、忙しいだろう、たくさんの団体さんでいっぱいだろうと思っていました。ところが、不景気や温泉離れか、大きなホテルには歓呼鳥が鳴いている。大浴場もたった一人。貸切だ。でも、この方がのんびりゆったりだ。道中もまったく雪の心配も無く快適ドライブ。何故か、観光は古い町並みや民家の見学になってしまう。
 まあっ、いいか!大きな幸せだよな!!!。

第224 2008.02.02
じぶん
 1月30日、彦根工業高校にて出前講座に行かせてもらった時の事。
 ちょっと、トイレに行った時の事です。一物を握り締め用をする目の前にあった、「ことば」が(張り紙・標語のようなもの)心に残ったので、皆さんに紹介します。

           じぶん

    考えた事がありますか   自分にできる事を
 
          は 世界を しっかりと見ることができる
 
    は どんなつぶやきも ききとることができる
             
は 見たこと 聞いたことを 伝えることができる
      
は あなたの待つ人のところへ 連れて行ってくれる
                 
は 困っている人を たすけることができる
     
     は 傷ついた人を ゆったりつつむことができる
     
肩は つかれた人を 休ませることができる
 
          頭は じぶんにできることを 考えつくことができる
   
は あいての気持ちを 感じ取ることができる

    考えてみませんか 自分にできることを

第223 2008.01.30
木組みの家に住まう
              
門控えへ柱の石との継ぎ手 内部の木組み 松井さん
 1月26日、笠原さんの提案のあった、「木組みの家に住まう」の著者、東京の松井郁夫さんのセミナーを開催しました。「根本から見つめて、ちゃんとした家をつくる」連続セミナーの46回目である。
 東近江市五個荘町金堂・川並地区には、近江商人発祥の地として広く知られています。そのたたずまいもとても立派ではあるが、老朽化の元、ドンドン取り壊しがあり、団地化が進む一方、町並みの保全や、近江商人を搬出した倹約を精神とした習いを、家ごと保存し、街づくりとして社会に役立てようとしています。こういう運動も盛んな地域です。そんな中にある、旧松井邸、築200年という、大きな民家を、花文の社長である、山村さんが買い取り、数年の月日と、何億という資材を投じ、古民家の再生を成した家の見学を、特別に許可を受け、約50人の参加者が、見せていただきました。
 スコシ雪があり、改修された屋根には、いぶし銀の瓦と白い雪のコントラストが、塀囲いの中に低いプロポーションで、凛と建つ姿は、私たちになぜか郷愁を誘いました。綺麗でした。

 次は、天秤の里学習センターにてのセミナー。
 全国、伝統構法の旅をし(残念な事に滋賀は出来ていない)、家づくりの違いや特徴を紹介をし、地場の棟梁も合わせて紹介するなど、興味のある話でした。
 

第222 2008.01.30
彦根工業出前講座
 昨年末、私の恩師でもあり息子の恩師でもある、沢村先生(製図の授業)から依頼があり、3学期早々の、1月23日息子と二人、母校まで出前講座に行ってきました。
 彦根工業の設備建築科(私達は建築科を卒業)の建築を専攻の生徒15名に対しての3時間、2日間に分けての木工の授業です。母校を含め、八幡工業高校・瀬田高校の3校が3年間の予定で、経済産業省と文部科学省のジョイント事業である「工業高校への実践教育の導入」と「社会人基礎力の育成」をねらい、「滋賀県クラフトマン21」の研究指定を受けてのことです。

 新年度、新3年生に木造3級技能士が受けられるよう、課題に向けての基礎的な実務の練習です。
 どんな事なのかと言うと、6CM角の角材1Mほどの材料をあてがってもらい2分し、一方に男木であるホゾを付け、女木にホゾ穴をあけるという、単純なものだ。が、のこぎりの使い方・毛引き・のみ・さしがねなどの使い方や、木の表裏・末と元など一応に教えなくてはいけません。
 面白かったのは、全員にとりあえず一口のこで切らせました。切ったほうを下に、皆並べました。すると切ったところが適当なので真っ直ぐ立つどころか、立たない人も出来、メチャメチャでした。さしがねで墨をして切ました。少しはましになりましたが、ひどく傾斜する人もたくさんいました。のこぎりは新品なのに!結局のこぎり使いの指導に2時間もかかってしまい、大慌てでのみ使いで、穴をほる事になりました。一時間では完成せずにトータル4時間の授業になりました。でも、単純な事ですが、生徒達は、出来上がったものに対し、一応に達成感を味わっていたようでした。
 先生曰く、やんちゃで落ち着きのない生徒だということですが、私達を前に、結構真剣に、かつ、楽しそうにやっていたと思いました。
 
                    

第221 2008.01.14
今年の言葉 2008
 1月7日、初出。
 例年のように、みんなで目標を書初めにして記しました。

 勝美   視・聴・語・動 心こめて
 森    満進
 晃久   勤倹力行
 河原   I CAN
 小林   減り張り
 浅井   視野広角
 剛士   学
 角川   考える・楽しむ・伝える
 高子   隙間に要

       今年も、目標に向かって頑張ろう!

 この後、氏神さんの押立神社にてお払いをしていただき、岐阜の御千代保稲荷までおまいりに行きました。
 今年もいい年でありますように!

第220 2008.01.14
薪ストーブの薪置き
 2日に、初仕事。毎年2日にはなんやかんや仕事をしています。
 今年は、薪ストーブのそばに薪が、プラスチックの籠に入っているので、イメージアップに薪置きを作ることにしました。
 広葉樹の巻きが、15本ほど収まる(一日分)大きさと下には、ゴミが落ちても掃除しやすい為と新聞紙のストックのトレー、上には少々の、焚付けようの棚。
 簡単な棚ですが、けっこう時間がかかりました。
 ちょっといい感じになりました。

 年末2日と、年始1日の3日間、ストーブ用の薪割をしました。今年は小径木な為割りやすいと思っていましたが、とにかく節がたくさん合ったため作業が、てこずりました。今回、5tの割り木です。昨年の薪の量は3・5t。今シーズン3・5tの薪を使っていますが、すでに、(おおむね11月から使用しています)三分の二は、使っています。まだまだ必要ですが、たらないのでは?が、今のところの見通しです。

第219 2008.01.13

初日の出 2008
 新年とはいえ、もうすっかり年も明けてしまいました。
 私の家から東のほうを見渡せば、鈴鹿の山並みが一望できます。何気なく見ている風景です。元旦の朝、お雑煮を頂いていると、目の前の山に大きな光の柱が、ズドーンと立ってきました。ご来光です。自宅からお雑煮をいただきながら、薪ストーブで暖と取りながら、ご来光が見えるなんて、すばらしい!!!!!
 
 皆さん、いいお正月でしたか。

 今年も宜しくお願いします。


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注:ファイルサーバの容量の都合上、過去の目次は削除しました。