歳をとってよかったかもと思えることがほんのちょっぴりある。今まで当たり前だと思っていた人の発言や行為に、結構いろいろな思いや背景があるのを敏感に感じ取れるようになって来たのがその一つ。
もちろんこれって諸刃の刃で、背負い込まなくてもいいことまで引き込んじゃう欠点もあるけどね。
少し前に大阪のFM放送キャスターについて書いたことがある。今日はもう一人、紹介したい人がいる。へへっ、でも実はあまり名前を覚えていないのだ。というのは、今回紹介したいのが、近緒が贔屓にしてるヒロTさんの放送の裏でキャスターしてる人なの、、。
彼の場合は、若くて剰りにも甘い語り口なんで、近緒好みじゃないんだけど、ヒロTが番組の中でがっちりした最新のジャズナンバーも流す時は、時々彼のやってる「裏」に浮気するのね。
で、この人が凄いなーと思うのは、色々な場面できっちり最近のブッシュ政権の危険さを指摘する所ね。今日なんかは、反ブッシュの側にいるロックグループの曲を紹介しながら、ブッシュ政権があるかぎり世界の安定はここ当分見込めないし、世界経済も不安定にならざるを得ないだろうみたいなコメントをいれてた。
ニューヨークのあのテロ以来、表面的な「反戦平和」にはきっちりくさびが打たれちゃった中、なかなか言えることじゃないよこう言う事って。ましてやマスコミ商売なんだから。
信念って言葉が、国民的規模でどこかに蒸発してしまったように見えるニッポンだけど、注意を払えばそこかしこに残っているんだ。まだまだ夢を見ていいかも。
■2003/03/07 (金) 薔薇口紅ぬりぬり0.01mm
最近、イギリス(というか北アイルランド)にまつわる小説を立て続けに2冊読んだ。高村薫の「リヴィエラを撃て」とシェイマス・スミスの「わが名はレッド」だ。映画ではサッチャー時代を背景にした「リトル・ダンサー」が思い出される。
近緒はイギリスと言えば「女王陛下・ビートルズ・紳士の国」といった朧気なイメージしかなかったのだが、小説やら映画のお陰でかなり身近な国のように思えてきた。
今のイギリスのイメージは、矛盾を腹一杯抱えた日本のように見えている。最もイギリスの方が日本よりずっと「硬派」だが。
そして今、イギリスはアメリカとタッグを組んで新世紀の初頭を戦争で縁取ろうとしている。(本当は日本の首脳陣もそのタッグに混ぜて欲しいに違いないのだろうが・・懲りない奴ら。)
アメリカは国家自体が「戦争する構造」を骨格として持って生まれた国のような気がするので何も言いようがない。そして自らは健康そのもののようなメンタリティを持つ国として世界に顔を向けているが、その内面は恐らく病んでいる。これも何も言いようがない。自ら変われなければアメリカのような巨大な国を矯正できる力など何処にも存在しない。
でもイギリスってどうなんだろう?
テロリズムを孕む国は戦争への磁気を帯びているのだろうか。陰鬱な気分だ。
朝、近緒が密かに山下清君と名付けた青年が嬉しそうに歩いている。授産所にでも出かけるのだろう。山下清君は彼の中で完全に完結していて殆ど満たされた人生を送っているみたいだ。外部とのコミニュケーションが、と気に病むのは私たちの方で彼じゃない。
山下清君と2台の自転車がすれ違う。朝方の住宅街の道路の真ん中を2台はゆっくり併走している。乗っているのが若いカップルだからだ。新婚なのかあるいは同棲なのか。二人ともお喋りと笑顔が絶えない。この些細な豊かさこそが今のこの国の財産だ。
巨大な「愚かさ」なんて消えてなくなればいい。
■2003/03/16 (日) 薔薇口紅ぬりぬり0.03mm
久しぶりに実家でくつろいだ。
我が家で買っているラブラドール君におやつをあげる。骨を一度粉砕して固め直したものだ。結構、固くてカチンとした手触りがある。
ラブ君に限らず、大体の犬達は喰いしん坊だから「よし」と許可を与えてやると餌に飛びついて食べ始める。
ラブ君があまりに勢い良く牙を当てたものだから、おやつが欠けて、その破片が遠くへ飛んで行ってしまった。ラブ君はその破片の行き先を目で追いながら一瞬考えたようだ。
おやつは全部食べたい、今、飛んでいった欠片を追いかけていくべきか、それとも自分の口の中のものを先に平らげるか。
どうやらラブ君は、飛んでいったおやつの欠片を後で探すつもりになったらしい。口にほおばったおやつをガリガリとやり始める。
近緒はこのラブ君の様子を、はらはらしながら見ていた。果たして犬の記憶力ってどれぐらいあるんだろう?おやつを食べ終わったらそれに満足して、後回しにしたおやつの破片の事を忘れてしまうのではないかと。
結果はこちらの心配しすぎだった。我が家のラブ君、口にくわえたおやつを食べ終わると、実にしっかりした足取りで、飛んでいった破片を探し出し、これも綺麗に平らげたのだった。
生き物が生きるための知恵の構造と記憶の持続時間は密接な関係があると思う。単純な生命体になるほど長い記憶がないが、それは彼らの知能が劣っているという見方よりも、生き延びる為の「必要性」の問題のような気がする。
人間の記憶はずば抜けて長い。更に、個人の記憶を人類全体の「歴史」に編纂しなおす能力さえ持っている。
さて我が家のラブ君は破片の行方を忘れなかったが、歴史上に刻まれた戦争を人は思い出す事が出来るのだろうか。
■2003/03/20 (木) 薔薇口紅ぬりぬり0.00mm
やっぱりやったのね。って言うのが今回の開戦についての感想。ご丁寧に作戦名が「イラクの自由」だとか。そんなもん自分ちでもない他の国に無理矢理押し込んでいって自由もへったくれもないけど、そーゆーのを平気で言えるのがこの国の本質やからムカつくけどしょーない。
近緒にとってこの戦争に「国の都合」としてついてまわる大儀があるかどうかなんて関係ない。「目の前の雰囲気的な平和ブームにのまれてフセインの危険性を忘れるな」とかゆー理屈があるんだろうけど、そんな事よりこの病気大国のやりかた自体の問題の方がよっぽど「危なくて怖い」ワケ。
第一、「その内、殴りかかって来そうな相手は、何もしていない内に先にボコっておく」なんていう理屈って日常生活じゃ許されないでしょうが。
確かに「こいつは危ないなバレないだけでこの前の悪さだってこいつだ。」って奴は日常生活にだっている。でも確証がなければ何も出来ない。まあ、そいつに近づかないか、遠回しにそいつを疎外するように工作するのが一般的なやり方なんじゃないかしら。
「そんな、なまぬるいだから駄目なんだ。」という感覚は誰だってあるんだよ。でもみんなそれを我慢して極端な事しないやん。
むしろそれをやってしまって「俺がやらなきゃ誰がやる。泥を被ってでも俺はやるよ。俺って正義だろ」なんて言う人間の「正義感」の怖さを理解すべきよ。
それって「目には目を歯には歯を」の報復原理ですらないのだから。(石油を巡る利権が、、とか言われてるけど、アメリカはそんなんじゃないね。はっきりいてハリウッドの映画見てりゃ彼らの感覚って判るじゃない。ただ映画で酔ってりゃ良いものを、実際にやっちゃう所が病気。)
この戦争おそらくアメリカの圧勝だろうね。戦後処理だって後ろ指さされないような施策を展開するよきっと。
だけど近緒はアメリカに「正義」のカードなんか絶対に送りたくないね。「自由の国」に「自由」をもって独裁されたい人は、「あの時、色々批判があったけど民主化された今のイラクを見ろよ」とかきっと言うんだろうけどね。
人の誇りが寄り集まったものが、その国の背骨であるという事を大切にしないで何が残るのか。それが生命線でしょ。その背骨をどっかの病気大国が武力で施せるのか、、まあそんな感じ。
ほんと関係なく殺される人間の身にもなって見ろよ。戦争はどうやったって人殺しなんだよ。
■2003/03/21 (金) 薔薇口紅ぬりぬり0.00mm
近緒のサイトでは政治・時事ネタは扱わない事にしている。理由はきっちりした意見を展開する為にはそれなりの膨大な資料と論考という裏付けが必要だからだ。
資料と言った所で近緒が手にするデータは既にマスコミや提供者側のフィルターが入ったものが大部分だし、そんなものを読み囓ったぐらいではどうにもならないし、それをあたかも自分が考えたように錯覚してしまう程お馬鹿でもないつもりだ。
それでも言わなければならない事が幾つかある。たぶんそうなってしまうのは自分の生き方と真正面からぶつかる象徴的な出来事が始まった時だろう。
この戦争の焦点は歴史的に見れば、イラクなどの問題ではなく、まさに「アメリカ」そのものにあるという事だ。だからフセインの所業などは今の時点では論点にならない。フセインが悪人かと問われば間違いなく悪人なのだから。
おそらく今度の戦争について近緒は幾つかの思いを綴っていく事になるだろうと思う。それは反戦平和というレベルではなくて果てしなく私憤に近いものになるだろう。取りあえず近緒の状況から整理しておこう。
今の所、utanさんからは何通かのメールやutanさんのコラムでこの戦争についての思いをうかがっている。それにWebで親しくさせて頂いているまひるさんのBBSではこんな書き込みをした。
「報復戦争を止められなかった時点ですべては規定の路線の上を動いている」という事と、さしちさんのレスにもあるようにこの国の基本の中に「アメリカの庇護下でしか生き延びる事が出来ない日本」という認識もありますよね。
今、近緒が一番考えているのは、今回のアメリカの行為自体を戦争終結後も世界中でどう位置づけるかそれが総てではないかと思っているんです。
夢みたいな話ですがそれが「アメリカの武装解除」の唯一の方法じゃないかと、勿論これはアメリカが一応「近代国家」あるいは「民主国家」であると仮定しての話ですが。
今の所、近緒のこの考え方もマスコミ報道の中では「アメリカの残虐性を浮きだたせ、不当性を引き出すのがフセインに残された最後の戦法」の中に吸収されそうだけど、それを恐れてちゃ、あの「同時多発テロ」が違う種類の楔になってしまった事の二の舞になりそうだし。
結局、戦争論って日本の場合「我が身に置き換えた時、それじゃアナタはどうするの。」って所だけど、その出発点が脆弱なんだと思う。
■2003/03/22 (土) 薔薇口紅ぬりぬり0.00mm
テレビを殆ど見ない近緒にすれば珍しく、この数日間というもの時間があればチャンネルを切り替えながら根を詰めてテレビを見てる。勿論イラク戦が気になるからだ。
もっと厳密に言うとフィルターのかかった現地映像より、各国の様子の方が気になって仕方がない。(特にフランス)
昨夜は筑紫哲哉氏の番組を見ていて、思わずそこに論客として招かれていた姜尚中氏の「正義という名の妄想戦」の捉え方に拍手し、アメリカ社会学者の「帝国戦」の言に、内側から見ていても気付く人は気付くんだと感心してしまった。
今回のイラク戦が、アメリカ映画の構造そっくりだと感覚的な事をこの前に書いたのだけれど、実は一番最初に思い浮かべた映画は数々ある鷹派好戦映画ではなくスターウォーズなのだ。
SWに展開される世界はアメリカそのものであると言ってよいと思う。それはSWの中で何が悪であるか何を善として捉えているかといった問題ではなく、世界観そのものが「アメリカ」であるという事だ。
(特に帝国軍が台頭していく状況を捉えた最新作等はまるで現在の状況を見越して創ってあるのではないかと思うほどだ。)
つまり間違いなくアメリカは光り輝く病気の巨人としてこの地球上に突っ立っている。その巨人にかっての敵対国同士であったドイツとフランスがNOと言った。 筑紫哲哉の番組では、NOと言えたのは第二次世界大戦後にフランスとドイツが良好な関係を作り上げる事が出来、EUを形成しつつある自信からだという指摘があった。
それに対して日本がいつまでたってもアジアの孤児で有り続けた事が、無批判無自覚なアメリカ追従しか出来ない現在の状況を生み出してきたのだという論点は正に正鵠を射たものだったと思う。
本来なら日本は、許す範囲で戦後数十年の歴史の中で中国なり朝鮮と良好な関係を気付いて置くべきだったのだと。
何度も書くけどこの闘いの問題点はフセインが悪かどうかじゃないと思う。考えて見ればアメリカが世界を征服する可能性はあっても、イラクがそうできる可能性など万に一つもない。超大国が小さな国に押し入っているだけの話だ。
そう捉える力がなければ、世界はアメリカの妄想に浸されてしまう。一番先に肌の色まで染色されて(自らという声もあるが)しまうのは近緒達が住んでいる国だろう。
■2003/03/23 (日) 薔薇口紅ぬりぬり0.00mm
近緒は政治的な人間ではない。ノンポリなんて言葉が恥ずかしがって逃げ出すほどの人間だ。そんな自分が今回ばかりは恐ろしいほどの不安を感じている。
それは狂い始めたのが他ならぬ米国であり、その属国である日本は腐りかけていて国という体をなさなくなりつつあるからだ。
近緒は何度も映画で米国が病んでいるのが判ると書いた。映画は作り手側単独で成立するものではない。むしろ大衆に迎え入れられる為にその姿自体を変えていくものだ。
米国が生み出す映画を見ていくとリアルタイムで米国の心が時代に沿ってうねっていくのが見事に判る。イージーライダーでアメリカは平和を切なく夢み、ランボーで再び闘いに帰ろうとした。そんな風にそれぞれの時代の幕切れにはターニングポイントになる映画が生まれて来たのだ。それは時代の気分そのままだと言っていいと思う。
近年になってベトナム戦争を冷徹に見つめ続けた映画人達の軸が微妙にずれ始めていったのは湾岸戦争後に撮られたスリーキングスが発表された頃ではないだろうか、、
それ以降、あらゆる米国映画の中にやや神経質な「強いアメリカ」の再来を求めるニュアンスが表現のベースとして台頭し始めたように思う。
そしてあの9・11である。
世界各国で巻起こっている反戦運動は、今までのものと少しニュアンスが違うような気がする。そこには二十世紀末になってようやく国連という幻想かも知れないが、一つの「装置」を手に入れかけた人間が、元の手斧で殺し合う世界に戻ってしまう事への憤りが、確かにあると思う。
イラク侵略軍(自らは解放軍と名乗っているがそれは歴史が決める事だ)の司令官が喋る事を聞いて、日本の高齢者の中には敗戦直後の日本そのものを思い出した人がいるかも知れない。
歴史でこそ検証して欲しいのだが、この国に原爆を落とした国は何処だったかという事だ。あの時期、確かに世界の中の「悪」は日本であり、その戦争を綺麗さっぱり終わらせるという大儀で落とされたのが原爆だった。
そして戦後日本に民主主義を導入してくれたのも米国だったという事実だ。だが米国には原爆投下に対する罪悪感などこれっぽちもない。なぜならば彼らは正義であるから。
今、米国がイラクに対して行っている事と、第二次世界大戦末期の日本の扱いとどう違うというのだろうか。
「奴隷の自由」という言葉が突き刺さる今日このごろだ。
■2003/03/24 (月) 薔薇口紅ぬりぬり0.00mm
難解な映画を作る事で知られるリンチ監督の作品に「ストレイト・ストーリー」と言う極めて判りやすい映画がある。自分の兄を訪ねて一人の老人が広大な米国を小さな農耕用トラクターで旅する話である。近緒が思うにこれ程米国という国の広大さを上手く描いたロードムービーはないと思う。
「広大さ」とは、豊かさと裏表の顔を持った「空虚さ」の別名でもある。米国はこの「広大」を開拓してきた国なのだ。そしてそのフロンティア精神は「強靱さ」と共にある種の「鈍重さ」も内包している。それは「先住民族を駆逐してその地に自分たちの祖国を建国する」感覚だと言って良い。
ハリウッド映画は面白い。それは見事な「夢」を作りだすからだ。しかし、よく見るとそこにはある種の空虚さがある事に気付かされる。
文化程度や内容がお粗末と言っているのではない。面白さを構成するエレメントが全部、人工物なのである。そこに描かれた人間の苦悩でさえ「人工物」だと言って言い。だから映画として「面白い」のだとも言える。
クリント・イーストウッドの出世作となったダーティハリーなどは典型的な「アメリカ」だ。ハリーは毎日、幾ら検挙しても人権やらなにやらを楯にして法の網をくぐり抜けていく犯罪者達に業を煮やしている。しかしハリーはそれに耐えながら、たった一人で勝負をしていく。マグナムという超強力な拳銃を持って表面的な「正義」に唾を吐きながら。
ダーティ・ハリーは面白い。なぜなら人々はハリーの心境を理解し共感しているからだ。だが同時に人々は映画と現実の境目を知っている。
現実がどんなに苦渋に満ち、矛盾だらけのものであっても、その中で耐えて何とかやっていくしかない事に人々は合意しているのだ。それは何故か?なんの為か?
その「答え」を捨てた行為が、今回のイラク戦争なのだと思う。
そうやって米国がこの世界に提示してしまった新たな枠組みの中で、今後世界はどうやって行くのだろう。
日本はアメリカを採った。「帝国という存在に同盟国などはない。あるのは属国だけだ。」という自らの足かせが透けて見えた。次にそれが現実的な「縛り」になって来るのは時間の問題だろう。
次は?遠からず日本は軍隊を持たざるを得なくなるだろう。「北朝鮮の驚異から守って貰うためにアメリカに追随するのは仕方がない」と言った状態で、止まる国ではない事を視野に入れておくべきなのだ。
■2003/03/25 (火) 薔薇口紅ぬりぬり0.00mm
アカデミー賞授賞式の様子を、出かけ間際にちらりとTVで見た。エイドリアン・ブロディのスピーチに胸がつまった。「祈り」という単語が頭に浮かんだ。
「ブッシュよ、恥を知れ!」と罵倒したマイケル・ムーアの肝の座り方にも驚かされたが、彼の住む「世界」はブッシュの世界とそう遠くはないだろう。
「祈り」は非力だが、人が最期に身を寄せる場所はそこしかない。
近緒が書いていた中編小説が2月に完結した。拙い娯楽作品であり、社会へ向けての有益なメッセージもない。
ただ一つだけ作品内に登場する「悲劇のヒロイン」には悔恨と共に、こう語らせた。「この国の悲劇と愚かしさは、支配を受けている人々が、支配者側の価値観でものを考えている事だ」と。
毎日の様に、テレビではイラン戦争の戦況を報道し、特別番組では様々な意見が戦わされる。「アメリカは正しいのか?」と。
だがそれは既に私達が支配者の側の思考に陥っている査証ではないか?
エイドリアン・ブロディがスピーチの際に見せた、切なそうではるか遠くを見つめているような瞳には、確かに「祈り」が宿っていた。
今、信用できるものは、心からの「祈り」だけだ。唯一「祈り」だけが、真実であり出発点となりうる。
■2003/04/06 (日) 薔薇口紅ぬりぬり0.01mm
身体の調子が思わしくないので体質改善でも始めてみようかと思い立ち、プロポリスを求めて岡山県は鏡野の山田養蜂場に出かけた。
鏡野は観光ずれしていない日射しの明るい農村地帯で、確かにここなら蜂が良い蜜を作るだろうと思った。
帰りには桜で有名な津山の鶴山公園に立ち寄る。大阪ではほぼ満開に近い桜だが、ここでは六分から七分咲きと言った所だ。
桜よりも人々が織りなす花見の宴に魅入ってしまう。持ち込まれたバーベキューの香ばしい匂いが春風に漂っている。
つい最近までは、桜を楽しむのに人の姿ほど邪魔なものはないと思っていたのに不思議な心の変化だ。
4月6日 米軍戦車大隊がバグダッド市内に向けて進撃開始
■2003/04/12 (土) 薔薇口紅ぬりぬり0.00mm
「中東のCNN」、あるいは米英からは「イラクの手先」とよばれたカタールの衛星テレビ・アルジャジーラ。そのバグダッド支局が4月8日朝、米軍機のミサイル攻撃を受ける。
誤爆であったのか故意であったのか、、、恐らくその真実は永遠に封印されるのだろう。
被害にあった関係者はその後のアメリカの対応を見て「アメリカにとっては、自分の国の人間だけが(戦争の被害者)なのだ。」と語ったという。
言うまでもなくこの戦争における両国の死傷者数の差は歴然としている。
そんな中、アメリカではイラク戦争で捕虜になった女性兵士の救出劇をテレビ映画化する話が進められているらしい。
(北朝鮮のメディアには吃驚する程の違和感を感じるが、アメリカのこの感覚も同レベルだと思った方がいい。多分、作られたものは娯楽性において雲泥の差があるだろうが、その位相はまったく同じものだ。)
これらがこの戦争の最大の「特徴」だと思う。 もうここまでくると完全な「病気」で、日本がこういう国の「属国」である事自体が危険を孕んでいると思う。
クリーンな戦争・正義の戦争・報復の戦争・解放の戦争、、ありとあらゆる幻想でアメリカはイラク戦争の表面を飾ろうとして来たが、、、そんな事に付き合うのはもう、うんざりだ。
バグダッド陥落後のイラクの人々のように、今後、世界は手のひらを返してアメリカの病気パワーに追従するのか、それともなんらかの抑止に向かうのか、、。
我が国の鉄腕アトムは極めて陰鬱な21世紀の幕開けに生誕した事になる。
■2003/06/08 (日) 薔薇口紅ぬりぬり0.02mm
三月の終わり頃から読み始めた「亡国のイージス」を今日やっと読了する。小説のタイプで言うと徹夜してでも読みたくなる構成なんだけれど、、まあそれだけ忙しかったという事なのかな、、。
この本を読み始めた時期がイラク戦争やら、それに伴って北朝鮮の内情がヒートアップ気味に報道されていた頃で「国防」というテーマもかなり真剣に考えざるを得なかったってこともある。
それにしてもアメリカが主張してたイラクが隠し持っていると言う大量殺戮兵器が見つからなくても、世界中の世論はそれを許すのだろうか。・・許すんだろうね。
結局、みーんな今回の戦争のからくりなんて全部知ってたわけだから。でも中近東諸国はこれで新たな「憎悪」の火種を抱え込んだ事は間違いないし、、。
武富士のCM、、見た?「テッシュ配りの生き甲斐」なんだよ。ここまで行くとどうなんだろ?って思う。どこかの誰かが米櫃の底を洗うようにして探し出して来たCMコンテンツなんだろうけど、ローン会社でテッシュ配りで、生き甲斐って言われてもね。
日本人の「勤勉さ」がこんな道ばたに落ちているようなアイキャッチを尻尾を振りながらくわえて飲み込むんだとしたら、とても悲しい事だと思う。
ホンと・・・いつからこんな国になり始めたんだろ。
■2003/11/11 (火) 薔薇口紅ぬりぬり0.02mm
corkyさんのサイトをのぞいたら総選挙終了後のコメントがupされていた。corkyさんの政治ネタ(corkyさんは多分こんな言い方も嫌いだろうと思うけれど)のシャープさにはいつも感心させられる。
http://macaroni.boystown.com/
さらにそのコメントが、メディアの評論ネタの継ぎ接ぎ細工ではなく、corkyさんの自前の頭で考えられている所に好感が持てる。
近緒は政治ネタについては触れないと決めているんだけれど、もし書いたとしてもcorkyさんのような明快さは保持できないだろうと思う。
・・こんな近緒でも、先のイラク戦争の時だけは立場をはっきりさせたし、この時はcorkyさんとは意見が対立していたように思う。
近緒の軸足は、テロの問題ではなくアメリカの一国主義への否定だったし、corkyさんの立場はテロ国家に対する強い否定だったように思う。
結局、この溝はchika達の対立に止まらず、実質的に未だ誰も埋めることが出来ていないような気がする。
「太陽と北風」のたとえ話が近緒には胡散臭い。旅人のコートを脱がす競争だから太陽が勝つ。けれどコートを脱がさない競争なら、どうなのだろうかと、、。要するに方法論ではなく前提の問題なのだ。
人は本当の所、一体何を望んでいるのか。近緒にはそれが判らない。それが政治ネタを書けない理由の一つだ。